芥川賢治より感謝
僕は、思い余って7月16日に、先ずFC2に、7月24日にアメーバにブログを開設したのです…まさか、ネットで書き出すとは思ってもいませんでしたが。
上記の両サイトでは、毎日、約150人の人が、読んでくれていました。
小学五年生にして高校三年生の頭脳を授かった…或る本を書く事と引き換えにだったと僕は思つている…芥川賢治が、40年間の沈黙を破って、終に、世に登場したのです。
今は、日本の中枢に居る僕の同級生達は、長い消息不明の後ですが、僕だと分かってくれるでしょう。
先年、身近には誰も居ないと思っていたら、3人も、居た事を知って驚いたと同時に、
早速、30数年ぶりの再会を祝った…間もなく書き出すよ、と言明した僕に、S君は、「少しばかり、トウの経った新人作家の登場を心待ちにしています」と葉書を送って来てくれた。
皆さまも同じだと思いますが、青年時代の友は永遠のものです。
幸い、僕は、皆、温厚な素晴らしい知識人たちを同級生として持つ事ができた。
…当時の僕は、神様が最初に与えた試練としての…家の不幸に苛まされていたのですが…
卒業文集に、3人のKがいる…このKは、いずれ日本の文壇に大きな足跡を残すのだろう…
勉学の道は、放棄して居た1年間だったにも関わらず。
そのKが…文壇なんかには全く興味はありませんが、書き出しました。
この「文明のターンテーブル」は、出来るだけ多くの人に読んでほしいと思っていました。
このネットの世界で、何の宣伝もしていないのに…この文章が…毎日、150人の人に読まれている、と言う事だけでも凄いことだとは思いますが。
人口一億二千万人のうち、活字が読めるのは、六千万人でしょうか?
週刊朝日の発行部数が、たった26万部であるように…当然ながら砂漠の泉でしかないか…との思いが在ったのです…それで、このgooにも、投稿したのでしたが、
最初の日は2件だったものが、87人もの方が、読んでくれ、アクセス数は570回も!
驚くと当時に感謝します。
謝辞に変えて、昨日の文章に、数行を書き加えます。
どうぞ、読んで見て下さい。
2010年9月19日
芥川賢治
僕は 日本の山脈を 日本の森を 日本の川を
日本の海を 家に帰してあげる
この国に ほんとうの 言論の自由が
本当の知性が 咲き誇り 栄えるように
自分たちだけが 幸せになって 放って置かれた 日本の山脈を
日本の森を 日本の川を 日本の海を かれらの家に 帰してあげる
利用するだけ利用して 雅の山脈を 戦の山脈に
文芸の森を 戦の森に 遊びの川を 戦の川に
自由の海を 権力の海に してしまった
むくつけき 男たちから 解き放ち 雅の山脈に
文芸の森に 遊びの川に 自由の海に 帰してあげる
この20年 とても 美しくなった 日本の女性たち
そのかがやき と 一緒に
2010年、9月18日
©芥川賢治