終章。
魚住 二階俊博経産相側についても、各紙が「今週にも立件へ」などと報じましたが、結局、まだ立件に至っていない。あの種の記事は“書き得”なんです。検察は「やらない」ということは公的に言いませんから、ずーっと後になってやらなかったことがわかる。でも、その時はもう忘れられているから、セーフなんですよ(笑い)。「あの時はそういう状態だった」という言い訳も立つ。ただ、今回の特徴は、そのマスコミが予測した捜査の動きよりも、はるかに実際の捜査が進まなかったということです。
郷原 報道の10分の1も進んでないでしょうね。
魚住 マスコミは先へ先へと書きますから、だいたいこういう傾向にはなりますが、報道と捜査の進展がこれだけ落差があるのは珍しい。(笑い)マスコミは「あっせん利得罪だ」「小沢代表までいく」「いや、次は二階経産相側だ」などと予測をし、それをにおわせる書き方をするわけですが、検察の捜査がそこまでいってない。今になってわかるのは、検察がずっとやっていたのは、小沢氏側の「悪性の証明」、つまり、政治資金規正法違反で なんとか公判維持するための材料集めで精いっぱいだった。
郷原 だから、私が大久保秘書の逮捕直後からずっと、そう言っていたじゃないですか。あっせん利得や談合による再逮捕はないと(笑い)。ところが、マスコミは「あっせん利得だ」と信じてね。胆沢ダム建設を巡る談合疑惑なども盛んに報道されましたが、ゼネコン間の談合があったとしても、3年以上前のことですべて時効です。
小沢代表元秘書で民主党の石川知裕衆院議員も、参考人というだけなのに「事情聴取へ」と大きく報じられました。それに対して、同じく元秘書で、次期総選挙で岩手4区の小沢代表への「刺客」となる高橋嘉信元衆院議員の「聴取」は小さな記事で終わった。
魚住 記事の扱いの大きさについては、「現議員」と「元議員」の違いがありますが、それ以上に影響していることがある。おそらく高橋氏が検察に協力的な立場なのに対し、石川議員は小沢氏側で、彼を聴取することは事件の“拡大”が見込まれるIということです。検察が「石川をやるよ」などと言えば、パクツと食いつきますよ。検察としては、それで小沢陣営にダメージを与えることができるし、うまくすれば大久保秘書の自白、あるいは小沢辞任までいけるかもしれない。それは、検察とマスコミの利益が一緒になっているんです。
郷原 そもそも違反になるかということに加えて、問題は、この事件の処罰価値です。名義の問題はあっても寄付の事実自体は収支報告書に書かれているので、収入総額に偽りはない。これでやれるんだったら、検察がその気になればほとんどの政治家を摘発できます。
「反権力」だった検察はいまや…
魚住 今回の事件の最大のポイントは、やはり政治と司法のバランスが大きく損なわれたという点です。かつては検察全体に、議会制民主主義の根本的な仕組み、つまり、総選挙で民意を問うて政権が決まるシステムに下手に手を突っ込んではいけないという常識があった。今回の事件を聞いたとき、検察をある程度知っている人間だったら誰もが、「なんで上層部が止めなかったのか?」と思ったはずです。
ところが、ブレーキはまったく利かなかった。これは恐ろしいことです。簡単に言うと、検察の承認なしには政権はできないということを、如実に示したわけです。
郷原 いままで日本の政治は、基本的に「55年体制」を引き継いでいて、自民党が政権を握っていることが前提のシステムでした。そこでの検察捜査は、言ってみれば「野党」の役割でした。「権力」に対する「反権力」ですね。だから、マスコミはその反権力を応援した。それに対して、政権側に配慮して、捜査を抑制してきたのが、検察上層部や法務省でした。
しかし、今回の事件は違います。政権を取ろうとしている野党第1党の党首側の摘発というのは、本当の意味で政治権力のバランスの中に検察が手を突っ込むことです。それは、民主主義全体にとって大変危険なことです。ところが、その抑制機能が法務省・検察・メディアのいずれにも働かなかった。
魚住 冷戦崩壊以降、検察は何でもアリになってしまいました。ライブドア事件(06年)では、当時の松尾邦弘検事総長が「事前規制型社会」から 「事後制裁型社会」への転換を打ち出した。つまり、市場は市場に任せるという従来の常識から、今後は積極的に摘発に乗り出すことを宣言したのです。そして、その言葉どおり、それまで手をつけてこなかった「市場」に介入した検察が、今度は露骨に政治に介入してきた。
郷原 私は、今回の検察の動きが意図的・計画的な政治介入だったとは思いません。むしろ、誤算や「読み違い」が重なって、「失敗捜査」をしてしまったのでしょう。しかし、それに対してメディアからの批判も少なく、社会からそれほど批判されなかったということになると、それが「けがの功名」になって、今後は、意図的にこうした捜査が行われる危険すらあります。注:それが村木さんの事件に繋がって行ったのでしょう(芥川賢治)
魚住 まさに、02年に検察の裏金問題を暴露する直前に逮捕された三井環・元大阪高検公安部長の事件の「教訓」ですね。あんなに明白な。口封じ”だったのに、ほとんどの大手マスコミは何もできなかった。あのとき検察とメディアが一体化する構造がどんなに恐ろしいかは、強く感じました。メディアが検察を追認するやリ方は、残念ながら、そのまま変わっていません。この「負の慣習」は、変えていかなければいけません。
構成本誌・鈴木毅
2年超、孤軍奮闘した週刊朝日の本物のジャーナリスト魂が無かったなら、日本は、どうなっていたかを思えば…。 今回の週刊朝日の報道は日本の戦後に永遠に刻まれるだろう。やっと民主主義が発現した、と。