日本の民主主義を救ったのは、民主党ではなく、週刊朝日だった訳です。

或る時期に政局にリンクしてしまった事は既述した通りですが、それから僕が書き続けて来た事を、同じ号の週刊朝日で、高野孟が切れ味鋭く書いていた…


 僕は、これまで、彼に対して100%好印象を持っていた訳ではなかった…大分前、北新地・全日空ホテルのバー(当時の僕は、このバーが好きだった)で、一人で、カクテルを飲んで居た時、隣席に、彼と小沢遼子が居た…話が聞こえて来た…ゼネコンと云々…相変わらずステレオタイプな事を言っているなぁ。…それが、彼に対する目を曇らせていたのです(反省)


それでは以下に。


巷では、相も変わらず「小沢辞めろ」コールが喧しいが、インターネット社会ではこれが真逆で、「検察はおかしい、小沢頑張れ」論が沸騰しているという。根拠は何か? インターネットージャーナリズムの先駆的開拓者、高野孟氏に緊急寄稿してもらった。  


マスコミが「小沢は辞めろ」の大合唱を続け、それに怯えた民主党の一部の人たちがいまだに「小沢では選挙が戦えない」などとオロオロしているのは無様としか言いようがない。こういう時に一番大事なのは戦略的な大局観である。


 昨年九月に麻生内閣が成立して以降、遅くとも今年九月までに行われる次期衆院選までの一連なりの政治局面では、民主党が初めての本格的な政権交代を実現して、小沢が言うところの「明治以来百年の官僚体制を打破する革命的改革」への道を切り開くのか、


それとも、その体制の随伴者にすぎない自民党がそれを阻止して、発展途上国型の政官業もたれ合いの体制をなお延命させるのか、が焦点で、毛沢東風に言えばそれこそが現局面の主要矛盾である。


 しかもその矛盾対抗関係において、終始攻勢に立っているのは、次の百年への扉を開こうとする民主党であり、守勢に立っているのは過去の百年を守ろうとする自民党である。


この基本的な戦略構図は、内閣や両党の支持率が多少上下しようとも、今なお何ら変わっていない。そのことをまず民主党全体でしっかりと確認して、一丸となって政権交代の実現という歴史から与えられた使命を貫く決意を示すのでなければ、国民の期待に応えることはできないだろう。  


その観点からすると、民主党の一部が小沢に対して「民主党を巻き込むな」「辞任して個人として検察と闘ってほしい」などと言っているのは愚劣である。


 政権交代をめぐる権力抗争の前哨戦はすでに始まっていて、検察による小沢秘書の逮捕は、狭義の「国策捜査」であったかどうかは別にして、全官僚機構の小沢流「革命的改革」に対する不安と恐怖を背景に、その官僚機構の一部である検察が先走って民主党に仕掛けた先制攻撃である。


 とすれば、民主党は最初から巻き込まれているのであって、それを小沢個人の問題であるかにすり替えてトカゲの尻尾切りのようにしてこの攻撃を逃れようとするのは間違いである。 緒戦においてそのような逃げ腰を見せて、クリーンかもしれないが当たり障りもないような人を代表に据えて票を伸ばし、それで何とか政権を獲ったとしても、「革命的改革」を担う政権など作れるはずがない。


それに、検察がこのように恣意的に気に入らない政治家を微罪で引っかけて政治局面を変えようとする、検察ファッショにもつながる公権力の乱用を是認することにもなってしまう。民主党はその名に恥じぬよう常に民主主義を守るための先頭に立たなければならない。


ネットの言説が世論形成に影響


 しかもこの前哨戦ですでに検察はいくつもの誤算を犯している。まず第一に、取り敢えずは秘書を政治資金規正法の「虚偽記載」という、本来は総務省が訂正を求めればいい程度の話で引っかけておいて、取り調べで叩けば収賄罪は無理でもあっせん利得罪くらいには持っていけるだろうと踏んでいたのだろうが、そうはならず、結局「虚偽記載」だけの起訴となった。


 郷原信郎教授が明快に指摘しているとおり、この時点で検察はすでに「敗北」している。西松建設側の二つの政治団体から小沢の資金管理団体への献金が、その二団体がダミーであろうとなかろうと、またそのことを秘書が知っていようと知っていまいと、政治資金収支報告書には献金者としてその二つの団体名を記載するのが適法的な処理であって、「虚偽記載」には当たらない。


逆に、秘書が実質的に西松からの献金であることを知っていて、報告書に正直に献金者として西松建設と書き込めば、企業から政治家個人の資金管理団体への献金は禁じられているのだから、違法行為を犯していることを自ら認めることになるので、その方が「真実記載」にはなるかもしれないが違法的な処理になる。


だから問題は、適法的な虚偽記載と違法的な真実記載のどちらかを選ばなければならない場合に秘書はどうすべきだったのか、ということになって、これでは検察は公判維持ができるのかどうかも疑わしい。


 誤算の第二は、その無理を押し通すために検察があることないことを毎日のようにリークしてマスコミに小沢叩きキャンペーンをやらせれば、たちまち小沢は耐えきれずに辞任に追い込まれるだろうと考えたのだが、そうはならなかった。


 マスコミは、初めから民主党推薦候補が勝つはずもなかった千葉と秋田の県知事選の敗北を「小沢のせい」であるかに報じ(だったら小沢が応援に入った名古屋市長選はどうして勝ったのか?)、世論調査の数字を操作して世論誘導を行い(質問の仕方一つで世論調査の数字が左右される危険については朝日新聞四月二十四日付「選択の年 世論調査の質が問われる」も認めているではないか!)、


何としても小沢を潰そうとしているが、ネット社会では、私の主宰するブログサイト「THE JOURNAL」を含め正反対の「検察は不当だ、小沢頑張れ」論が沸騰していて、それが小沢と民主党執行部の踏ん張りの根拠の一つとなっている。


この展開は検察とマスコミにとって予想外で、日本の世論形成にも米国や韓国並みにネットが無視できない存在になりつつある現れかもしれない。


 第三に、世論の批判に応えて、自民党側でせめて二階俊博経産相を槍玉にあげてバランス”をとろうとしたが、この事件化か思ったよりも難しい。無理にでも立件し、そうすると二階が即時辞任し、マスコミは「二階が辞めたのに小沢はどうして辞めないのだ」と騒ぐことになるが、私の考えではそれでも小沢は辞める必要がない…後略 …ここで民主党が怯(ひる)んだら日本の民主主義はお終いなのである。 


 


 *日本の民主主義を救ったのは、民主党ではなく、週刊朝日だった訳です。   

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください