読者の方たちに真実とは何かを伝える為に、一部をアップします。
見出し以外の文中・強調黒字は芥川に依る。
税金を使った検察の捜査は実は、国民に何の利益ももたらしていなかった。それどころか、国民を「政治とカネ」の虚構で編くらかし、官僚主導の国家経営を守る道具に使われていた。検察が積み上げてきた国家の損失はどれほどなのか。ジャーナリストの田中良紹氏が告発するー。
「政治とカネ」の虚構で日本は沈没する
大阪地検特捜部の主任検事による証拠隠滅事件に世間は驚いているが、これまで特捜部が犯してきた「でっち上げ」の数々を見聞きしてきた立場から言えば驚く話ではない。「やはりそうか」というのが私の感想である。
むしろ、この事件が特異な検事の特異なケースとして本人とその上司のみの刑事事件として幕引きされるのではないかとそれを恐れている。
これまで検察は「正義である」とされてきた。しかし、なぜそう断定されるのかが分からない。どんな人間もどんな組織も間違いは犯すものであり、神でもなければ「正義」であるはずがない。それをこの国のメディアは常に「検察は正義」だと言って摘発される側を「悪」に仕立ててきた。それは迷信に等しい。
検察が正義かどうかを監視しなければならないメディアが、迷信を国民に刷り込むインチキ宗教の広告塔の役割を果たしてきた。心あるジャーナリストが新聞やテレビでは言えないことを単行本に書き、被告となった人たちが手記を書くことで検察の「でっち上げ」の実態が多少は明らかになった。それでも新聞とテレビは迷信の広告塔をやめず、今回の事件も「あり得ない話だ」と驚いたような顔をしてみせ、検察が幕引きを図るストーリーに乗ろうとしているように見える。
私は司法クラブ記者として、ロッキード事件を捜査する東京地検特捜部を取材したことがある。驚いたのは記者たちが、担当検事に取材をしないことである。検察幹部に対する取材は許されるが、実際に捜査している検事を取材すると検察の逆鱗に触れ、記者クラブにいられなくなると言われた。
記者たちは決められた幹部から管理された情報をもらって記事を書く。
掟を破って取材したことが分かるとその記者は定例会見から追い出された。私はいろいろな記者クラブを見たが、検察担当ほど情けないクラブはなかった。以来、私は決して検察担当記者の書く記事を信用しない。
ロッキード事件は、アメリカの軍需産業が世界各国に秘密代理人を置き、代理人を通して各国の政治家に賄賂を贈ったという事件である。冷戦の最中であるから代理人は反共主義者で、日本では児玉誉士夫氏という右翼の領袖が務めていた。
これが暴露されたのは、アメリカがベトナム戦争から撤退して3年後の76年である。アメリカは反共主義を清算して民主主義の旗印を掲げようとしていた。そのための儀式として軍需産業と反共主義者の関係を暴露したと見られる。そのためか世界では秘密代理人も政治家も誰も逮捕されなかった。
ところが、日本だけは田中角栄氏を逮捕し、商社丸紅からの政治献金をロ社からの賄賂だと認定した。証拠はロ社の幹部に刑事免責を与えた上で得た嘱託尋問調書である。しかし、角栄氏の死後、最高裁はその証拠能力を否定した。
つまりロッキード事件は解明されていないのである。
にもかかわらず、総理経験者を逮捕したことで検察は「最強の捜査機関」と絶賛された。以来、「検察は正義」となり、「政治とカネ」が最大の政治課題に浮上した。
国会の予算委員会は、国民の税金をどう分配するかの議論をする所である。
ところが、わが国では決まって「政治とカネ」の問題が取り上げられ紛糾する。紛糾すればするほど、官僚が作った予算案は議論の対象とならず無修正で通過していく。大蔵省(現財務省)にとって思い通りの展開となる。こうして官僚主導による国家経営が続いていく。
「政治とカネ」をあげつらうことで野党もメディアも官僚主導に協力してきた。
お陰で国民は予算の使い道など全く知らされない。最近「事業仕分け」が人気になったのは、本来は予算委員会でやるべきことをやってみせたからである。
国民は初めて税金の使い道を実感した。しかし、自民党が野党になった今でも予算委員会はスキャンダル追及に明け暮れている。世界の議会で国民生活の議論より政治家のスキャンダル追及を優先している国などあるだろうか。
政治家が本当に罪を犯しているなら、それは司法の場で裁かれれば良い。「議会で説明責任を果たせ」などと馬鹿なことを言う国を私は知らない。
少なくも欧米の議会は政治家のスキャンダルなど取り上げない。それより重要な政治課題が山積している。
日本が「スキャンダル狂い」になったのは、ロッキード事件で国中がマインドコントロールされ、成功者や権威ある者の失墜を面白がる下衆になったからである。リンチの時の大衆心理と同じで「もっとやれ!」となる。
それは霞が関が官僚主導を続けるのに都合が良い。実力のある政治家が出てきたら「政治とカネ」の容疑で野党とメディアに批判させる。ネタはいくらでも見つかる。いやいくらでも作れる。それを今回の証拠隠滅事件は示している。
後略・・・