小室直樹の来歴。

来歴

1932年、東京都世田谷区生まれ。1937年、5歳の時に同盟通信の記者であった父が死去し、母の故郷である福島県会津若松市に転居する

1951年、福島県立会津高等学校卒業し、京都大学理学部数学科入学。位相幾何学を専攻する。


1955
年、京大を卒業し、大阪大学大学院経済学研究科に進学。市村真一を指導教官とし、市村の家に泊まり指導を受け、高田保馬、森嶋通夫 、安井琢磨、二階堂副包らの下で 理論経済学の研究を始める。


1958
年、阪大大学院博士課程に進学し、森嶋から、小室ともう一人の特別優秀な院生だけが選ばれ、域的安定性の収束過程について特別の指導を受けるなどした。

1959年、阪大大学院を中退したが、市村の推薦で、第2回フルブライト留学生としてアメリカのミシガン大学大学院に留学しダニエル・スーツから計量経済学を1年の間学び、更に奨学金を得て研究を続けることになった。

 

1960年、マサチューセッツ工科大学大学院で、ポール・サミュエルソン、ロバート・ソロー、ハーバード大学大学院ではケネス・アロー、チャリング・クープマンスら名だたる人物から経済学を1年の間学ぶ。

 

1961年、再びハーバード大で、バラス・スキナー博士から心理学、タルコット・パーソンズ博士から社会学、ジョージ・ホーマンズ教授から社会心理学を1年の間学んだ。フルブライト留学生の限度が3年だったため、1962年、帰国。

 

1963年、東京大学大学院法学政治学研究科に進学。丸山眞男が指導教官となり政治学を学ぶが、小室が心理学ばかり勉強しているので、丸山の弟子の京極純一に預けられた。その他にも、東大のゼミナールを渡り歩き、中根千枝から社会人類学を、篠原一から計量政治学を、川島武宜から法社会学をそれぞれ学んでいる。

1965年、富永健一から社会学を学ぶようになる。

 

1967年から、ボランティアで所属・年齢・専攻を問わない自主ゼミ(小室ゼミ)を開講し、経済学を筆頭に、法社会学、比較宗教学、線型代数学、統計学、抽象代数学、解析学などを幅広く無償で教授していた。小室ゼミ出身者には橋爪大三郎・宮台真司・副島隆彦らがいる。

 

1970年、大塚久雄の近所に引越し、直接マックス・ヴェーバーについて学びながら、宗教についての研究を始める。後掲「社会科学における行動理論の展開」で城戸賞受賞。

 

1972年、東京大学から「衆議院選挙区の特性分析」で法学博士の学位を取得し、東京大学非常勤講師に就任。

1980年、山本七平の紹介で、光文社から初の一般向け著作である『ソビエト帝国の崩壊』が刊行されベストセラーになり、評論家として認知されるようになる。


2006
年秋、副センター長を務める弟子・橋爪大三郎に招聘されて、東京工業大学世界文明センター特任教授に着任。4年余りであったが終生の仕事とする。

 

201094日に心不全のため東京大学医学部附属病院で死去。満77歳没。99日に葬儀を終えたが公式に発表されず、翌910日、 副島隆彦が自らの公式ウェブサイトの掲示板に投稿し、すでに葬儀を終えたとする小室の訃報を同投稿の前日の9日に受けた旨の記述を行った。928日になり東京工業大学が死去を発表し、これを受け広く報道された。

*文中黒字強調は芥川に依る。

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