最終章。
…僕が弁護側なら「無罪」にできた…
裁判が終了した1年後の04年、娘と観に行ったオペラの会場で、すでに検察庁を退官され、弁護士になられていた主任検事と偶然会ったことがあります。
「やあ、江副さん」と笑顔で声をかけられたときは驚きました。事件のことを聞くと、主任検事は、「あの事件は大変でしたよ。でも、途中で捜査をとめるわけにはいかなかった。公判が始まってからも、どうやって贈賄罪を立証するか検討し続けていました。僕が弁護側だったら、もしかしたらですけどね、無罪にできたかもしれないと思うほど苦労しましたよ」と非常にフランクに話してもらい、うれしく感じました。
主任検事は個人としてはとても人柄の良い人でした。吉永検事正から立件への厳しい指示を受けていた主任検事は、さぞ大変だったろう、と思いましたね。
私は著書のなかで、特捜部の捜査や取り調べについて自分自身の体験を書き綴りました。
読んだ方からは「描写があまりに生々しくて記憶力の良さに驚いた」という言葉をいただきましたが、私は取り調べを受けた後、房に戻ってから房内ノートにどのような取り調べを受けたのかということを詳細に書き留めていました。
保釈後、弁護士が私の記憶を喚起して、房内ノートに記されていることとあわせて、私か取り調べで体験したことを公証人役場で公正証書にしていたことが大きいと思っています。
それは公判のためでしたが、昨年、裁判員制度が導入されましたので、参考にしていただければと思い、著書にまとめました。
親しい友人のなかには「どんなふうに書いても、自己弁護、名誉回復のために書いたと思われる。おとなしくしていたほうがいい」という人もいましたが、それでも出版に踏み切ったのは、密室での取り調べがどのようにして行われているのか、事実を多くの人に知ってもらいたかったからです。
そして、最終的な目的は裁判での捜査の全面可視化が公正な裁判に繋がると考えたからです。
現在の司法制度のゆがみは、密室での検事の取り調べによって作成された、有罪に持ち込むための都合のいい要素で構成された検察官調書が重視されているところにあります。
全面可視化が実現しなければ、裁判員裁判になっても公正な裁判にはならないと思っています。