紙の新聞を懐かしむ。
終業近くに、弊社専務が、インドのタタグループの総帥が、ハーバード史上最高金額の寄付を成したという記事をネットで見ていた。
僕は驚いた…僕のパソコンは、グーグルをメイン画面にしていたことと、以前にヤフーをメイン画面にしていた時には、大した記事はないと思っていたからだ…ありゃ、これじゃ新聞は、このままじゃ駄目じゃないか。
これまで朝日の論説委員に対しては論難せざるを得なかったのだが…僕は、朝日新聞そのものは、認めて来た人間なのです…朝に…新聞という…起きてから…手に取って読む紙媒体が無くなることは寂しい気がしたからだ。
日本は宅配制度が確立されているから、まだ持っているだけで、米国では、次から次と新聞社が倒産しているのだろうな、と思った(未検証)
論説委員の高説が目に余る場合を除いて…今後、朝日を論難するのは止めよう…例えば先週の様な…異様な程の高説も…滅びゆく事を自覚した断末魔の叫びだったのではないか…と、さへ思えて来たからだ。
僕が驚いたのは、ウォール・ストリート・ジャーナルが、オンタイムにヤフーに在る事…それより、もっと驚いたのは、チャイナ・レコード…今、こんなに笑えるニュース満載な媒体もないだろう。
当然ながら、中国=共産主義の独裁国家というステレオタイプな、ものの見方は、これを読んだら、木端微塵に吹き飛ぶだろう。
そもそも、人間は、一人ひとりが悲喜劇を繰り返しているものなのだから、人口13億人と言う事は、13億通りの悲喜劇が在るということなのだ。
今、中国には、人類史上最大の「人間喜劇」が在るのである。