最終章。
単なる期ズレが“大疑獄事件”に
これも本誌が何度も指摘してきたことだが、そもそも小沢氏の「政治とカネ」をめぐる疑惑は、その背後にゼネコンによる「ヤミ献金」があるというのが「悪質性」の根拠だった。具体的には、陸山会の土地購入のために小沢氏から借り入れた現金4億円に、こうした“裏ガネ”が使われたというのである。
振り返れば、小沢氏の「政治とカネ」が取りざたされるようになったのは09年3月のこと。東京地検特捜部は、準大手ゼネコン「西松建設」からの政治献金が政治資金規正法違反(虚偽記入)に当たるとして、公設第1秘書だった大久保氏を逮捕した。
当時、新聞やテレビに出ていた検察OBたちは、「秘書の逮捕は事件の入り口に過ぎない。今後、小沢氏のあっせん利得罪やあっせん収賄罪に発展していくはずだ。検察はまだ隠し球を持っている」 としたり顔で解説していた。ところが、特捜部がゼネコンの一斉聴取などしたものの、大山鳴動してネズミー匹も出てこなかった。捜査は失敗だったのだ。
その検察が次のチャンスとして食いついたのが、巨額脱税事件で服役中だった中堅ゼネコン「水谷建設」元会長の水谷功氏(65)の証言である。
「岩手・胆沢ダムの工事を受注するための見返りに、都内のホテルで(当時、小沢氏の秘書だった)石川議員に5千万円を紙袋に入れて渡した」
検察は陸山会の土地購入資金の中にこの裏ガネが含まれていると見立てていた。これが事実であるならば、政治家として許されざることであり、逮捕、起訴は当然だろ そして政治資金規正法違反容疑で石川氏らが逮捕されたが、この時も険察OBを含む「特捜部応援団」は、
「この事件は入り口で、綸察はしっかりした裏ガネの証拠を握っている」
と息巻いていた。
しかし、この時もさんざん指摘された裏ガネの存在は、立証することができなかった。こうして2度にわたって失敗したのだった。
そもそも陸山会事件で、検察がすがった水谷証言は控訴審で“実質的な無罪判決”となった佐藤栄佐久・前福島県知事(71)の汚職事件で信頼性に疑問符がついている代物だ。明らかな見込み違いである。
「厚生労働省元局長の村木厚子さんの冤罪事件で明らかになったように、特捜部は自分たちが描いたストーリーに都合のいい供述調書をデッチ上げてまで事件をつくる習性がある。そこまでして立件にこだわる特捜部が西松建設事件、陸山会事件と2回も小沢氏を狙い、本人の聴取をしたにもかかわらず、起訴できなかった。検察の完全敗北だったのです」(東京地検関係者)
繰り返すまでもなく、「裏ガネ」がなければ、この事件は単なる「記載ミス」である。それを、検審の議決に乗じて無理やり“大疑獄事件”のように見せているのが実情なのだ。
しかも、検審が「起訴すべき」とした、収支報告書への記載の「期ズレ」問題ですら、本当に犯罪性があるのか疑わしい。先の細野氏が、こう指摘する。
「この事件は政治資金規正法違反ですらありません。検察は、小沢氏と陸山会の間の資金移動が政治資金収支報告書に記載されていないことが違法だと言いますが、単式簿記を前提とした現行法では、どこまで記載すべきか、その記載範囲に正解はない。作成者による裁量の余地を多く残しているのです。それを検察の一方的な見解で、小沢氏を狙い、現職の国会議員らを逮捕したのは、国策捜査としか言いようがない」
無罪を証明することは、「悪魔の証明」だとよく言われる。無罪が確定した村 木氏も、自身の経験からこう語っている。
「やっていないことをやっていないと説明しても、信じてもらえない。理解してもらうのはとても難しい」
村木氏の冤罪事件や、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件で、我々が学んだのは 「推定無罪」の大切さである。
実際、法廷闘争になっても、検察が2回も不起訴にした事件で、小沢氏に有罪判決が下される可能性は極めて低いというのが、専門家たちの見方だ。
だが、今回の検審の議決 を受けて「議員を辞めろ」と大合唱する世の風潮は、
検察官による起訴と、検審による起訴の違いを理解していないように思えてくる。「プロ」と「素人」の違い ではなく、論理の違いだ。
まず、検察官による起訴 は証拠を徹底的に検証し、被疑者が罪を犯したのは間違いないという判断のもと、被疑者に処罰を求めるというものである。
これに対して、今回の検審の議決は、シロかクロかわからないから法廷で判断してもらおうという趣旨で「起訴すべき」の判断となった。
しかし、ここは「起訴=有罪」のイメージが定着する日本である。「推定無罪」
の原則をより一層、徹底しなければならないだろう。
ジャーナリストの江川紹子氏は、こう指摘する。
「メディアのなかには『推定無罪と言っても、不当逮捕された村木厚子さんは、無罪が確定するまでの1年3ヵ月、休職した。小沢さんも休職すべきだ』など、とんでもないことを言い出すところもある。むしろ、村木さんのような人を一人も出さないためにどうすべきか、ということを議論すべきなのです」
そもそも一連の事件は検察の”妄想”から始まったものだ。そろそろ、この悪夢は終わらせてもいいのではないか。