議決書にならぶ 訳わからぬ理屈…続き。
議決書にならぶ 訳わからぬ理屈
この起訴議決で前提としている政治資金規正法の解釈が、まずおかしい。収支報告書の記載の正確性について、責任を負っているのは「会計責任者」です。
だから、一義的には、会計責任者が 正確に記載すべきところ、虚偽の記入をしたというのが「虚偽記入罪」の守備範囲となる。その共犯は、何らかの積極的関与、指示、働きかけなどが必要だというのが、少なくともこれまで 刑事事件の実務で前提とされてきたことです。政治団体の代表者について会計責任者の「選任及び監督」、選任と監督の両方について過失があった場合にだけ罰金とされていることから考えても、当然の解釈です。
ところが、今回の議決書では、収支報告書の内容について小沢氏への「報告」「了承」をしたという石川議員らの抽象的な供述に基づいて政治団体代表者の小沢氏の共謀が認められるような判断をしています。
さらに、読売新聞(10月6日付)の報道によれば、補助弁護士が審査員たちに
「共謀」について説明する際、〈暴力団内部の共謀の成否が争点となった判例〉などを例に挙げたといいます。これが事実だとすれば、とんでもない話です。
政治資金収支報告書の虚偽記入というのは、政治資金の処理手続きの問題で、だからこそ、会計責任者に第一次的義務が負わされています。そういう政治資金規正法違反の共謀と、拳銃の所持についての組長と組員との共謀のヶケースなどとは、明らかに違う。政治資金規正法について、よっぽど知識がないか、もしくは、わざと審査員たちをミスリードする意図があったとしか思えません。
もう一つの問題は「供述の信用性」についてです。
石川議員の供述について、議決書では〈被疑者の了承を得たとする場面での具体的やりとりがなく、迫真性があるとまでいえない〉が、その信用性を消極的に評価することは「適切でない」としている。そして、こんな論理を展開するのです。
〈5年ほど経過した時点である上、(中略)そのときのやりとりや状況で特に記憶に残るものがなかったとして、何ら不自然、不合理ではなく、本件では、細やかな事項が情景として浮かぶようないわゆる具体的、迫真的な供述がなされている方が、むしろ作為性を感じ、違和感を覚えることになると思われる〉
郵便不正事件で無罪になった村木判決のことを意識しているのでしょうか。
村木厚子・厚労省元局長の無罪判決では、「具体性・迫真性は後から作ることができる」と指摘していますが、これは具体性・迫真性がある供述でも信用できない場合があると言っているにすぎないのです。
それを具体性も迫真性もなくて、フワフワと書いてある供述のほうが信用できるというのは、まったくあべこべの論理です。
ここは補助弁護士がちゃんと説明して、常識にかなった設定をすべきでした。結果が法律的にも政治的にも重大な影響を持つわけですから、こんなピントはずれの判断は非常に問題です。
この議決書は問題だらけですが、唯一まともなことを言っている部分は、最後の「まとめ」にある。
〈国民は裁判所によって、本当に無罪なのか、それとも有罪なのかを判断してもらう権利があるという考えに基づくものである〉という点です。
要は、よくわからないが疑わしいと思われる事案の最終判断は、裁判所に委ねるということを意味しています。そもそも検察審の紀訴議決というのは、その稗度の趣旨に過ぎないということです。
このような「強制起訴」と、検察が「有罪判決を得られる見込み」があり、処罰に値すると判断する「起訴」とは、根本的に次元が異なるということなのです。
そういう意味からも考えて、現時点で軽々しく「政治的責任を取るべきだ」「議員辞職すべきだ」「党として除名すべきだ」と声高に叫ぶのは、今回の検審制度の趣旨にも、議決の趣旨にも合わない。
こんなことを言っている人は、法的センスも見識も疑われます。