審査会はいまや 世論モンスター …前章続き。
審査会はいまや 世論モンスター
09年5月といえば、裁判員制度も同時にスタートした。どちらも「国民目線での改革」というとらえ方をされているが、高井氏によると、内実は大きく違う。
たとえば、I事件につき6人が選ばれる裁判員の候補者は、検察審査員と同じく選挙人名簿をもとに「くじ」で選ばれるが、検察側と弁護側は理由を示さずに特定の候補者の選任を拒める。
だが、検察審査員については、審査される側の弁護士や申立人の代理人といえども選任にかかわれない。
「こうした不備を改めないと、権力機関なのにだれも監視できないという恐ろしい状況が続くことになります」(高井氏)
検察審査会は、独占的に容疑者の起訴、不起訴を決める権限を持つ検察の恣意的な判断をチェックする。犯罪被害者への配慮や、不当な不起訴処分の抑制が狙いだ。戦後間もない1948年に生まれた。
「日本の民主化を進めた連合国軍総司令部(GHQ)内には検察の民主化に向けて、市民が訴追するかどうか決める大陪審(起訴陪審)と検事公選制を導入すべきだという意見が強かった。これを日本の司法省(当時)が巻き返し、検察審査会制度の新設などと引き換えに逃れたのです」(ジャーナリストの魚住昭氏)
当時は民主化のアリバイ作りの組織で、実質的な力はほとんどなかった。ところが、2001年2月に福岡地検の次席検事が、脅迫容疑で逮捕された主婦の夫である福岡高裁判事に捜査情報を漏らしていた事件が起きたことなどで、状況は大きく変わった。
「検察不信の高まりと、被害者の声を大事にすべきだという『被害者王様主義』の高まりを受け、国会議員が深く考えずに強制力を持たせた結果、検察を審査するという本来の役割を大きく超え、外部からチェックできないモンスターを生み出してしまった」
魚住氏は続けて、モンスターの力をさらに強めているのが、メディアをはじめとする世論だと指摘する。
「小沢憎しの雰囲気があるから、世論が審査会の判断に共振し、推定無罪の原則をゆがめてまで辞任論が噴出している。検察や審査会が政治を動かす『検察民主主義』になりかねません」
では、審査会という密室のなかではどんなやり取りがされているのだろう。
検察審査会の委員長を務めた関東地方の男性が語る。
「新聞で小沢さんの議決の要旨を読んだが、ああいう難しいことは、審査員は書けないし、言わない。そもそも、検察官が何度も調べて不起訴にしたのに、素人が数回会議したところでわかるはずがないですよ」
男性が所属していた審査会では、話し合いは午前中から夕方まで行われ、I案件につき、2、3度の会議で結論を出すことが多かった。一緒の審査員は、スナックのママや個人タクシーの運転手、赤ん坊を抱えた若い女性など。多くは法律の知識が乏しかった。それなのに、裁判員制度のように前もってのレクチャーはなく、配られる資料は難しい法律用語ばかりだった。
「そうなると、事務局に頼らざるを得なくなる。私たちは検察審査会の事務官に過去の事例などについて説明を受け、議決書の原案もその人が書きました」
素人の審査員は 簡単に誘導可能
それを裏付けるように、ある検察関係者は豪語する。
「素人の審査員なんて簡単に誘導できる」
この関係者が知る地検の検事正があるとき、検察審査会から問題とされる事件が長く出ていないから、「審査会が機能していることを示すためにも、そろそろ不起訴不当の議決があったほうがいいのでは」と言いだしたという。おかしな指示だったが、この検察関係者は、審査会が検察の意見を聴取する機会を利用した。
「意見が分かれ、結局は起訴しなかったが、ボーダーラインだった」「起訴していないが悪質なのは確か」 悔しそうな表情でそう強調し、小さな声で「残念だった」と個人的な意見を付け加えることも忘れなかった。するとトイレに行くときに、「検察も頑張ったのに惜しかった」と声をかけてくれる審査員もいて、狙いどおり「不起訴不当」の決定をもらったという。
この関係者は言う。
「検察は直接、審査会に説明ができるが、審査される側は、上申書などを出す程度で説明はできない。その差は大きいですよ」
小沢氏の「起訴議決」で力を見せつけた検察審査会は、権威ある機関どころか、チェックすべき対象の検察にさえ左右されているのが実情なのだ。警鐘に耳を傾けるときではないか。