「復讐するは我にあり、我これを報いん」
さっきの文章のタイトルは「復習するは我にあり、我これを報いん」の方が良いな、と、程なくして浮かんだのですが、「十戒…」も、良いと思っているので、暫くは、このままにしておきます。
さて、昨日、日本有数の読書家である弊社専務が、とても良いものを、幾つか教えてくれました。
今日は、最後に…明日は休日ですから…映画の「砂の器」に匹敵する様な、読後感を持たれるはずだと思うものを、アップします。
それまで、弊社専務からのプレゼントを、皆さま方にも贈ります。
…一ヶ月ほど前の朝日新聞の読書欄に掲載されたものです。
そこに見るのは私たちの姿
画家 安野光雅さん
このごろ、玩具のような弁当が流行っているらしい。黒豆の目鼻、工夫を凝らした野菜の人形など、お母さん苦心の弁当をテレビで紹介していることがある。しかしそれを学校へ持っていくと弁当のコンクールになる恐れがある。今は弁当を持ってこない子や、母のない子はいないのか、羨む子はいないのかと思う。
『一〇〇年前の女の子』の主人公テイの母は、里方に戻ってお産をした。それっきり嫁入り先には帰らなかった。赤ん坊だけが生後一ヵ月で届けられた。テイはもらい乳で生きた。そういう時代だったのだ。
テイが学校へ上がるようになり、弁当の時間がくると、そこには村の縮図が展開された。鉄の地金にホウロウをかけた弁当箱はひびが入りやすく、蓋に孔があく。蓋はコップのかわりだから、ゆびで孔をふさいで、お茶を入れてもらう。子どもたちは華麗な弁当の自慢をするどころか、弁当の蓋でおかずの部分を隠して、泥棒猫のようにこそこそとたべた。「いいかテイ、べントウ箱に口つけて食べてる子は、行儀が悪いんではないんだヨ、だから見るものではないゾ」とおばあさんがいった。
百年とは言わないが、戦後の食糧事情の良くない中で、子どもたちはこそこそと食べた。そのころデモシカ先生だったわたしは、それが見ていられなかった。弁当を持ってこられない子がいるというのに。おかずを隠して食べたりして親にもうしわけないと思わぬのかと怒鳴った。わたしは怒っているうちに涙が出た。怒ったのは、彼らの中に、わたしの昔の姿を見てしまったからだ。そして『一〇〇年前の女の子』の中にも、わたしたちの姿を見てしまったのだ。
テイより少し年上の壷井栄の小説『二十四の瞳』のマツちやんは、母親が死んで学校に行けない。大石先生は家にアルマイトの弁当箱を置いていく。アルマイトは梅干しに強くて孔があかない。マツちゃんは町に働きに出され、木下恵介監督の映画では雇い主の浪花千栄子の因業ババあが、蝿をビシツと叩きながら見張る目を逃れて、修学旅行の同級生の一団が見え隠れするのを横町の路地から見送る。
ラフカディオーハーンはギリシヤにうまれた。四歳のとき母がどこかへ行って帰らず、以後二人はあったことがない。彼はめぐりめぐっだ放浪の末、松江の学校に来て、小泉八雲になった。松江に来てから百二十年、今年は記念の年である。
その名著は山ほどあり、詩人としての感性は、今のわたしたちに力を与えてくれるが、ここでは「おばあさんの話」という小品のあることが言いたい。他人のためだけに生きて、忍従、犠牲の化身のようなその人は。この世から直に無上菩提の光の中に成仏し、もう生まれ変わることはあるまい、と皆が口をそろえる。
八雲は書く。
「私はおばあさんがこれから先、少なくとも五万年ぐらいの間は生まれ変わってこないような気がする。この人を作り上げた社会の条件はとうの昔に消え去っている。そして次に来る新しい世の中では、どのみち、このような人は生きていけないだろうから」と。