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本誌先週号(1029日号)では、今回の証拠改ざん事件で逮捕・起訴された大坪が、この「三井事件」で、暴力団関係者の供述をでっち上げた疑いがあることを、その口封じ逮捕に利用された五代目山口組「二代目佐藤組六甲連合」会長(当時)の亀谷直人受刑者(63・現在、別の殺人事件で服役中)の「獄中手記」から明らかにした。

 

とはいえ、大坪は、“組織の歯車”の一つに過ぎない。

 

「三井事件」は、大阪地検特捜部、さらには当時の検察幹部やOB、すなわち「ヤメ検」弁護士を含む、“検察一家”が、総出で作り上げたものだからだ。

 

事件の発端が2001年、神戸市内のマンションを巡る亀谷と三井の金銭トラブルだったことは前号でも述べた。亀谷の事務所だったマンションを三井が競売で落とした一件である。

 
亀谷は買い戻そうとするのだが、金が工面できず、立ち退きを迫られていた
02年1月30日、複数の知人を介し、ある大物ヤメ検弁護士に面会した。〈マンション買い戻しの支払期限を延長する〉【獄中手記より。以下、〈 〉のゴシック部分はいずれも手記からの引用】ために、三井と交渉してもらえないかと相談したという。

 

その大物ヤメ検弁護士とは、荒川洋二・元大阪高検検事長(75)のことである。

 

荒川は大阪地検検事正、高松高検検事長など要職を歴任し、「関西検察の頂点」である大阪高検検事長で退官した。「関西検察の首領」といわれる土肥孝治・元検事総長や逢坂貞夫・元大阪高検検事長らと並ぶ関西検察の大物OBで、三井の大阪・高松地検、大阪高検時代の上司でもあった。

 

荒川との面談にこぎつけた亀谷は、荒川との間をとりもった知人から事前に 〈三井との事を個条書きにしたメモを用意しといてくれ〉と要求されていた。

 

そこで亀谷は、後に三井との贈収賄事件で贈賄側となる舎弟分のTに命じ、それまでのマンションを巡る亀谷と三井とのトラブルや、Tによる三井接待の経緯などを個条書きにしたメモをまとめさせ、荒川のもとに持参したという。

 

ヤメ検が渡した三井潰しのメモ

 

その時のことを亀谷は獄中手記にこう記している。

 【( )内は筆者。なお、できるだけ読みやすくするため、文意を変えない程度に加除修正した」

 〈1月30日 荒川弁護士事務所へ行く。(大阪の)十三で知人らと待ち合わせし、4人で荒川弁護士の事務所へ行った。〔中略〕知人がTへ、三井の(ことを書いた)メモを荒川へ渡すよう促し、Tが荒川に渡した。〔中略〕荒川とTの2人は椅子へ並んで座り、話し込んでいた。

 

荒川はTと色々やり取りした後、マンションのほう(支払い延期の件)は「日にちがない」と消極的な口ぶりで、(午後)3時に(大阪の)福島へ行かなあかんからと云い、大塚次席検事宛にTELをし、「今から行く」と伝えていた。

 

荒川が先に事務所を出た後、続いて(亀谷ら)4人も出た〉 ここに出てくる〈大塚次席検事〉とは大塚清明・大阪高検次席検事(当時、現・弁護士)のことだ。

 

荒川は、Tがまとめたメモを受け取るや否や、その日のうちに後輩の大塚のもとに持ち込んだのである。荒川の一連の行動は、その後の三井事件の公判でも明らかになり、荒川本人も証人尋問で事実関係を認めている。

 

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