続き。
それにしても、かつての部下だった三井が暴力団とトラブルを抱えていると知ったら、まずは三井本人に問いただすのが、“通常”だろう。
にもかかわらず、なぜ荒川は、Tのメモの内容を、三井本人に確認することなく大阪高検に持ち込むという。異常”な行動をとったのか。
理由は簡単だ。
当時、三井は検察の裏ガネ問題について、「噂の真相」や「週刊朝日」などに匿名で証言していたが、その告発内容から、法務・検察幹部やOBの間では、証言者が三井であることは、“公然の秘密”だった。これには現職の法務・検察幹部だけでなく、荒川ら検察OBも頭を悩ませていたことだろう。
というのも、検察の裏ガネ=調査活動費の不正流用問題においては、現職もOBも同罪、いや、その流用した額においてはOBのほうがより悪質だったといえるからだ。その意味では、三井の口を封じたかったのは現職よりむしろOBのほうだったかもしれない。
そんな折も折、亀谷らからもたらされた情報は、三井を、“潰す”格好の材料となったのだ。
後に三井事件の公判で 「荒川メモ」と呼ばれることになる、Tがまとめたこのメモはその後、約80日にわたって大阪高検に保管される。
ところが02年4月、三井が実名でメディアに裏ガネ問題を告発するとの情報を検察がキャッチした段階で、メモは急に大阪高検から地検に送られ、大阪地検特捜部はここに記されたTからの情報を頼りに三井を逮捕したとみられるのだ。
だが、前述のとおり、亀谷が荒川のもとを訪れたのは、マンション買い戻しについて三井と交渉してもらうためにほかならない。にもかかわらず、荒川はこの件について〈消極的〉で、その後も荒川が動いた形跡はなく、結局、亀谷は02年2月5日、マンションから退去させられた。
この荒川の対応は亀谷も腹に据えかねたようで、後の三井事件公判の証人尋問でこう証言している。
「荒川先生の場合は、そんな(Tのメモを検察に流す)ことしたらあかん言うてんのに、黙って断りなしにしとんやからけしからん」
前号でも報じたとおり、三井の最初の逮捕容疑は、〈競売で落札した神戸市内のマンションに住んでいるように装い、登録免許税の軽減措置を受けようと、区役所に虚偽の転入届を提出した〉とする電磁的公正証書原本不実記録・同供用と 〈区役所から登録免許税約47万円の軽減措置を受けるための証明書をだまし取った〉とする詐欺-というものだった。
亀谷が荒川に対して怒りを露にするのも無理はない。というのも、亀谷は、この三井事件の端緒となる情報を、荒川を通じ、検察に提供したにもかかわらず、その検察から三井の詐欺の 「共犯」として逮捕されたからだ。
興味深いのは、獄中手記には約20ページにわたって、マンションを巡る三井との攻防の経緯が克明に記され、そこからは亀谷が逮捕前から、そして釈放後も三井に対し悪感情を持ち続けていたことがうかがえることだ。
ところが検察が描いた三井事件のストーリーでは、それまで激しく対立していた2人がある日突然、お互いの立場を慮るようになり、さらには〈共謀〉して〈登録免許税の軽減措置を受けるための証明書をだまし取る〉のである。