前章を書くにあたって…。

前章を書くにあたって、芥川は…1925年、岩手県北上市生まれ。東北大学理学部卒業。新潟大学名誉教授。専攻は物理学、理学博士。イーハトーブ館・前・館長。…斎藤文一さんが書かれた本…2010年、715日に初版第一刷…これだけでも凄いことだと芥川は思う…80歳を優に超えて書かれたのだから。

 

この素晴らしい本…芥川は、これも全国民必読の書だと思う…「科学者としての宮沢賢治」を…芥川が前章を書きだしていた時に…弊社専務が「ここ、読んでみたら」と差し出して来た…そこには、僕が言いたい事のすべて…かつて、「カヴァレリア・ルスティカーナ」の章で、或いは、「ColdPlayの♪Scientist♪」で書いたことの、すべてが、そこには在った。

 

分けても、その部分の最後に、斎藤さんが、紹介した、峠三吉の詩。…これを読んだ時、僕は、もう慟哭を堪(こら)えきれなかった。

 

この部分を、何一つ省かずに、芥川の文章の間に入れたいと強く思った…弊社専務に、新聞や雑誌ではなく、これだけ素晴らしい本の、この部分を挿入するについては、「斎藤さんの了解を取りたい、どうしたら良いだろう」と、呟いた。

 

「確か、イーハトーブ前館長って書いてあったから、そこに電話してみたら…」調べて電話をした…女性の方が出てきた…芥川が、斎藤さんが卒業された大学の真下で、勉学を為した者であること…思い余って、芥川賢治として、「文明のターンテーブル」を、ネット上で書いていること…趣旨を話して、芥川が挿入したい前後の文章をざっと読んでから…

 

斎藤さんのP193…修羅科学者―核の時代に生きる…からP197、(「原爆詩集」「景観」)までを、そっくり、挿入したいのですが、ついては…と該当する文章に目を通しながら、話していた時に、芥川は、突然、嗚咽におそわれた…しばし、声に成らず、気持ちを整理している間、この女性は「大丈夫ですか…」と声をかけてくれた。「大丈夫です…」

気持ちを取り直して、用件を告げたのでした。「ちょっと、お待ちいただけますか」「ええ、」

 

しばらくして「申し訳ないんですけど…電話番号は教える事ができないんです…」「それは当然だと思います。ありがとう」

 

こんなことがあったのでした。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください

前の記事

続き。

次の記事

平成4年には…。