風邪で伏せっているという、くりきんとんさんへ。

「新聞、雑誌の類は読むべからず」とは、深い意味であって、浅学、無知を奨励する言葉でないことは無論…これは、これから学究の徒への道を歩もうとする者のための言葉。…古今東西の、読むべし本を読め、それぞれが究めようとする分野の本は精読せよ、自分の目で見て、検証し、自分の頭で考えよ、という意味であることは無論。

 

くりきんとんさんは…今の若い人には多いのだろうが…新聞、雑誌を読まない…勿論、読まなくて良い新聞や雑誌は読む必要がないのも無論だが、週刊朝日やニューズ・ウィークを読まなければ、今、日本で、世界で起きていることの真相や深層は分からない。

 

日本の雑誌では週刊朝日以外は、ジャーナリズムと呼べないのは…殆ど記者名を書かない事、意見を聞いた相手の名前も殆ど書かないことにある…これでは、簡単に情報操作されて当たり前だろう。

 

芥川は、こういう雑誌も、たまに読むが、100%信用することはない…誰が書いたのか、言ったのかも分からない文章=何も検証されていないのと同じ事=を信じるような阿呆ではないからだ。

 

新聞、雑誌を読まなくても良いのは、例えば、僕の青年時代の親友であるS君の様に、読むべき程の本は読み、聴くべき程の音楽は聴いたどころか(彼の場合はクラシック)モーツアルトのレクイエムを聴き過ぎて、抹香の香りプンプンになるほどに…実社会に於いては、本意ではなかったにしても、選択した金融界で為すべき事をなして、冥界…今頃は冥王星あたりの地平で瞑想しているのだろう…このような人は、もう新聞、雑誌の類は読まなくて良いのである。

 

後は、宇宙の果てまで届く瞑想で、自然を眺め、一瞬の時を慈しみ、己の人生を見届け続ける作業を為しているのだろうから。

 

記者名、引用者名、意見表明者名のない記事…天声人語等の例外を除いて…或いは、雑誌は、全て、危険なのだということを…もう21世紀なのだから、明瞭に知るべきなのです。

 

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