最後の一言が、心に残った…昨夜の朝日夕刊から。

…前略。

シャーウィンは名古屋出身。東京女子大を卒業後、60年に渡米、ハーバード大などで文学、歴史学を学んだ。米国で結婚。91年にスイスに移り、99年から英国南部バース近郊に住む。
「英国に来て、日本人に対する人々の態度が、どこか冷ややかなことに気づきました」
 
その背景に、戦中、日本軍の捕虜となった6万人近くの英兵が、激しい虐待を受け、ときに死に追いやられた歴史の記憶があった。元捕虜の父をもつ近所の家族と知り合ってわかった。

その後、シャーウィンは英国各地に元捕虜を訪ねく。その1人に、エリック・ロマックス(91)がいた。
42~43年、日本軍はタイとビルマ(現ミャンマー)を結ぶ泰緬鉄道を建設した。過酷な労働、栄養失調、病気などで連合軍捕虜と、アジア各地から動員された労働者が多数死亡した。
 
タイ西部の現場で働いたロマックスは、同僚がラジオを作るのを手伝ったことなどが発覚、日本軍から拷問を受けた。仲間2人が殴られて死んだ。
  
 そのロマックスに会うため、盛岡市に住む駒井修(73)が英国を訪れたのは2007年6月だった。駒井の父光男は1943年、陸軍少尉としてタイに渡り、捕虜収容所の副所長を務めた。
 
戦後46年3月、駒井は母に部屋に呼ばれた。自分と姉を前に、母の兄が何事か告げようとしたとき、「やめて!」と母が泣きながら止めた。
 
父が戦犯として処刑されたことは高校卒業後、教師に教えられた。しかし、父が何をしたのかは分からなかった。
 
父の戦友会に何度か出た。
「みなさんは、知っていることを私に教える義務があるのではないですか」
 戦友たちは黙った。
 
99年、英国の戦犯裁判資料を目にした。父がロマックスらを虐待して重傷を負わせ、捕虜2人を殴打し死なせた、と判決にあった。
 
謝罪に訪れた駒井に向かってロマックスが語った。
  
「私は裁判であなたの父親を指して『こいつにやられた、死刑にしろ』と言ったんだ。その息子がわびに来るなんて……」 ロマックスも苦しんでいたことを駒井は知った。
  「父に代わって心から謝罪いたします」
駒井の言葉をロマックスは黙って受けとめた。やがて緊張が和らぎ、ロマックスが言った。
  「ホテルにもう1泊、していかないか」    (上丸洋一)

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