私も知らなかった、宮沢賢治のエピソード。

尋常小学校2年の時、同級生が川に流され亡くなった。 賢治は暗闇の中、橋の上から子供を捜索する船の明かりを見つめていたと伝えられている

尋常小学校時代、罰として、水を満杯にした湯呑を持って立たされていた生徒を見かねた賢治は、辛かろうと言ってその場で水を飲み干してしまった。

1916年春、寮の親睦会で寸劇が企画され、室長であった賢治は「全知の神ダークネス」役を演じたその迫真の演技は評判となり、しばらくからかいの対象となった。

賢治は熱心な音楽好きであり、暇を見つけてはレコードを買っていた。賢治が頻繁にレコードを買っていくため、地方の店の割に新譜レコードが多く売れるとして、行きつけの楽器店がイギリスに本社を置くポリドール・レコードから感謝状を贈られたという。

蓄音機の竹針を炒め、音質を高める針を発明したこともある。 米ビクター社にサンプルを送り、製品化には至らなかったものの、その発想は高く評価された。

浅草オペラのファン(ペラゴロ)で、上京した際には、しばしば観劇した。当時の浅草オペラの役者だった田谷力三らの名前を織り込んだ詩「函館港春夜光景」も残している。

妹トシ子をこよなく愛し、彼女がなくなったときは押入れに顔を突っ込んで号泣した。彼女の亡き骸をひざに乗せて髪をくし梳った。…ウィキペディアより

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