諦念と決意。
くりきんとんさんが、例によって、体調が今一と言う。
市内と嵐山、どちらに行くべきか(今日は、完全な晴天ではないし、天気予報では寒い)…市内に行くべきを、阪急電車内で本を読む事を選択して、嵐山に向かった。
閑話休題
僕の言葉は、日本の中枢に間違いなく届いていることを確信している。
例えば、一昨日の夜、久し振りに、各社の(日本テレビは除いて…僕は、ここのニュースは、どないもならんと思っている)ニュースを、順繰りに観た。
芥川が、厳しく論難するまでは、皆さまもご存じのように、各社とも、全く同じ内容のニュースを順繰りに放映していた。
ところが、一昨日も、昨夜も…まるで各社が示し合わせたように(笑)…トップニュースは一緒だったが、それから後は、各社が、それぞれの題材を、それぞれの視点で取り上げていたのです。
昨夜のニュース・ステーションで、管首相について、これ以上ないぐらいの、簡潔にして、見事な論評を為していた、同志社大学・大学院教授の浜さんは、間違いなく、芥川の文章を読んでくれているはず。
或る日、パレスチナのことを取り上げていた時のこと…その日か、前日に、僕は、ボブ・ディランのPositively 4th Streetの、ボブ・ディランの真骨頂のような、詩を、日本語訳と一緒にアップしたのだが…彼女は、最後のコメントに、「まさに、俺の靴を履いてみなよ…」に言及した。
さて、
嵐山を選択して地下鉄に乗ったら、週刊新潮の中吊り広告が、目に入った…新聞下段の広告で目にした時、、ここの記者たちにも、芥川の文章は、届いていると思っていた…テレビは、デジタル化しても「愚者のランプ」。
梅田駅で、買い求め、読みながら嵐山に向かった。
家に居た時は、晴れていたが、案の定、嵐山に着いた時は、太陽は雲間に隠れ、おまけに、非常に、寒かった…顔が、耳が。
常寂光寺の庭を観て、花灯路の時間。それから早めに帰宅しようと思っていたのだが、この曇天と寒さ、おまけに一人では、どないもならんな、と帰る事にした。
帰りの車中で、三井環氏の本を、再読しようと…梅田まで、ずっと読んでいたのだが…これ以上ない暗澹たる思いを感じた。
が、地下鉄の車中から、夕陽を見つめていた芥川は、前述した、諦念と決断を、実行することを誓っていた。
間もなく、「文明のターンテーブル」第二章を書きだすことを。
ほんとうの、芥川が、炸裂することになります。
皆様がたが、これまで決して目にする事がなかった文章を、世に出します。
僕の同級生で、僕の様な人生を送り、今も独身で、家庭を持たずして、一生を終えようかという人間は、一人もいません。
先年、仕事で親しくさせて頂いた、奄美大島出身の老舗不動産会社の、同年代の女性社長は、「社長さんの様な人こそ、子供を作るべきだ…」と言いましたが。
言うまでもなく、芥川が、子供が嫌いなどと言う事は有り得ず…全く、その反対…特に、自分が愛した女性に、そっくりの女の子だけは、持ちたかったのですが。
釈迦の様な、キリストの様な人生が宿命だったことの意味合いを、何の遠慮、何のためらいも無く、死ぬまで書き続ける決意を固めていたのです。
芥川は、死ぬ直前まで、矍鑠として、歩き、書き続ける。
そのために、お付き合い頂いた皆さんの誰もが知っていた、酒豪、
は、全く、酒を飲まなくなったのです…時々の、本当に嗜み程度。
極端に言えば、植物や、鳥と一緒のリズムで、生活し出したのも、その為なのですから。
天才は閃く、凡才は閃かない…僕の周囲に居た人は、何度か、僕が、そう言った事を覚えているでしょう。
そのことのほんとうの意味を、僕の人生をかけて、これから書き出します。後、40年、書き続けます…どうしても生き続けられない、その日が来るまで…歩き続けて、書き続ける。
この国の、本質的な病を、糾す。…芥川の役割をはたす。
*曇天だったけれど、良い写真だと思う。FC2で観て下さい。
