年賀状。
昨日、家を出て程なくして、カメラの電池を忘れた事に気付き、戻ったら、メールボックスに、同級生にして親友のS君から年賀状が届いていた…同級生で、芥川の所在を知っているのは、ごく数人しかいない…それが、神様が、芥川に与えた人生でもあった訳ですが…S君は、自筆の部分で、「文明のターンテーブル」第一章で言及した同級生の近況を伝えてくれた…「D君が小説を出しました」、と。
既述したように、某大企業の北米担当重役の職を、米国流に、早めに定年退職して、本当の、晴耕雨読…彼の場合は、芥川と同様に、ほんとうの自分の人生を生き始めたのだろうなと思う。
日本の各界中枢にあまたの逸材を送りだして来た我が母校には、図書館が発行する、LIBRARIAと題した由緒ある小冊子があるのですが、芥川は高校二年生の時に、命じられるような形で、そこに文章を書いたのでした。
それは、県下の高校生に依る読書感想文コンクールに出す為に、我が母校から該当者を選抜した様な号だったのです。
この時に、芥川は、芥川龍之介の「羅生門」について書き、D君は「たけくらべ」について書いていたことを、今朝、思い出した。
芥川は、D君に比べれば、天と地の様な、言わば、闇の中の魑魅魍魎が蠢(うごめ)く世界を生きて来た訳ですが…昨年中に、芥川も、これまでの人生にピリオドを打って、自分の役割を果たすべく書き出しているべきだったな、と、一瞬、後悔の念が過(よぎ)った。
書きだそう…百鬼夜行の世界に、もう少し、身を置かねばならぬとしても、書くことは、始めなければならない…私たちには、その時が来ているのだ。
僕らは、みんな、粉骨砕身働いて、日本国の興隆にも大いに寄与してきたはずだ…近い先輩には、分りやすい所では、KDDIやSONYの社長に成った人たちもいる訳で。
日本の興隆と停滞の両方を経験して来た、わたしたちこそ、今、この国に、物を言わねばならない。
もし、テレビが、現代の文化であるならば、もはや三流国の水準に堕した、この20年を糾せるのは…今、粉骨砕身働く事を、終える年齢に差し掛かっている…僕らの中で、言葉を、神様から授かった者は、皆、書き出さねばならぬ。
芥川はそう思う。…この国を糾せるのは、全てを見て来て…ほんとうに、真面目に、真剣に生きて来た僕たちしか居ない…
僕は、今でも米国に住んでいるのであろうD君が、書き出したのも、芥川と同じ、止むにやまれぬ思い…日本に対する愛情からだと確信する。
D君よ、頑張ってくれ…お互いに人生はこれからだ。後、40年、頑張ろう。
君も僕も、幸い、頑健な体を授かっていることだし。
僕は…日本の大商社~ニューヨークで弁護士~某大企業の北米担当重役を経た君ならではの視点から、他の人には書けないことを書いているはずだと確信している。…君の後半生が、更に実り多いものである事も確信しながら、君に、心からのエールを送る(涙が出そうだ)
第二章は、今日からでも、書きだそう。S君からの年賀状を読んで、芥川は、そう決意した。…頭の中では、そう思った瞬間に、その書き出しとなる、今回の2カ月に渡る「京都から」を、ほぼ書き終えましたが。
その前に、今日、もう一度…今日は朝一番に、京都に向かうつもりです。…し残した作業があるので。

まさか、金閣寺でも、万両に会えるとは、思ってもいなかった。
芥川が欣喜雀躍したのは、言うまでもなく。…大勢の人!の中で、ただ一人、一心不乱に、万両を撮り続けていた芥川は、奇人・変人に思われていたかも。