金閣寺こそ、ほんものの大スター。

年末に、ビジネス上の心労が重なったせいで、弊社専務は、風邪を患い、結構長引いていたのですが、やっと回復。

 

昨日、訪れた金閣寺は、目出度さなら一番ですから、体調の完全回復を願いに、参拝しようと、一緒に京都に向かった。

 

芥川には、連日の金閣寺であるが、昨日から、思っていた事もあった…金閣寺の写真を完成させよう…完璧な写真を撮ろう、という。

 

JRで花園まで行った…妙心寺までは歩いて直ぐだから、4日前に行って、とても良いと思った退蔵院に寄ってから、タクシーで金閣寺に向かう事に。

 

退蔵院の受け付けのおばさんや、園内掃除のおじさんとは、すっかり、顔見知りの様なもの…ここでゆったり堪能してから、金閣寺に向かった。

 

昨日ほどではなかったが、それでも、金閣寺は大変な人出だった。

 

年始ですから景気の良い話が一番でしょう…この京都の大スターは、年間、一体、幾ら稼ぐのでしょうか…大スターに相応しいグレイトさであることは、間違いなし。

 

足利義満…足利 義満(あしかが よしみつ)は室町時代前期の室町幕府第3代将軍(在職1368 – 1394年)である。父は第2代将軍足利義詮、母は側室の紀良子。封号は日本国王。

南北朝の合一を果たし、有力守護大名の勢力を押さえて幕府権力を確立させ、鹿苑寺を建立して北山文化を開花させるなど室町時代の政治、経済、文化の最盛期を築いた。

義満が邸宅を北小路室町へ移したことにより、義満は「室町殿」とも呼ばれた。のちに足利将軍を指す呼称となり、政庁を兼ねた将軍邸は後に歴史用語として「室町幕府」と呼ばれることになった。

鹿苑院は義満のほかに、義満が相国寺塔頭(現在の同志社大学今出川校地)に置いた京都五山の統括役所を指す場合もある。…ウィキペディアより。

 

この、640年前に生きた足利義満は、実に偉大な男な訳です。640年後の、今もなおの燦然たる大スターを建立し、莫大なお金を稼ぎ続けているのですから、日本最大級の偉人と言っても過言ではないと芥川は思う。

昨日、今日と、どれだけの国の人たちが、金閣寺を訪れていたことか!

640年も昔に死して、今なお、日本国に寄与しているのですから、これほどの偉人は、そういないと言うべきでしょう。

 

金閣寺を見て、感嘆の声を上げない人はいないのですから…芥川は、彼は、類まれなる傑物として、再評価されるべきだと思う。銀閣寺を建立した義政もしかりなのですが。

この二人が、どれほどの傑物であったかは、左大文字は金閣寺の上にあり、右大文字は、銀閣寺の上にあるとにも示されています。

 

金閣寺ほどの大スターに与える称号は、不世出の、という言葉しかないでしょう。

芥川の入魂の写真を、これから、順次アップしていきたいと思っています。

それでは、その中の一枚を、どうぞ、ご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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