「上から目線」
痴呆テレビを20年も観続けて=それを自分の生活習慣として、そこでの知識を実はバイブルとして育ってきた人たち、特に、若者は、今、「上から目線」と言う言葉を頻繁に使っているだろう…意見を述べた者を批判する言葉として。
これほど、昨今の日本人の知性の低下、思索力の低下を示す言葉はないのだ。
芥川は、…「上から目線」が無ければ、あなたの、囚われ人としての、状況は打破できないと、指摘する。
芥川が、そのことに気付いたのは、滅多にないほどに、気候が目まぐるしく変化した1月10日の嵐山で、さて、何処に行こうと思案して、…けれども、直ぐに、…冬の完全版は1月8日に完成したはずの、天龍時を再訪しようと決めた時。
動機は、単純なもので、同行者で在った弊社専務が、ここは初めてだったから。
1月8日とは違い、何故か、入園して直ぐに、美しい錦鯉が、芥川を出迎えた。
一番、人の少ない冬場である事に加えて、大変な気候だったから、観光客は、本当に少なかった…中国や韓国の観光客の方が多かったぐらい。
僕は、長い事、神社・仏閣には、本質的に、興味を持たない人間だったから、11月から、カメラと共に、京都を見尽くす作業に入っても、知恩院を除いて、本堂に上がることはなかったのですが、この日は、本当に、気候的には、凄まじい1日で、雪が降るかと思えば晴れ、曇天、空気の輪郭まで見えそうな位に、澄んだ空気に変化したり…山道を撮影中に、雪が降りしきって来た時には、手がかじかんで来たほどだった。
良かった、心おきなく、天龍時の鯉たちと交流できたし、8日とは違う、降りしきる雪の中の庭を撮る事も出来た、…
さっと帰るつもりが、えらい時間になったけど、帰ろうか、と、歩いていた時だった…本堂の障子の間から見える庭…
障子が額縁となって、まさに、1枚の絵となっていたと言った方が正しい。
ショックを受けたのですね…この庭は、本堂からも観なければ=上から目線で=も観なければ、いけないのではないか。
早速、靴を脱ぐ面倒(靴ひもタイプでもあり)は消え、急いで、本堂に入った。
驚いた!下から=地面から捕っていた時には、あんなに、ピント合わせに苦労した、SONY・α55のオートフォーカスが、すべて、一発で、バチバチ合うのである…この目線からが基準にしてあるのだな。
この時に、4年前に、親しくしていた早稲田大学のO君が、時々、口にして、芥川の耳に、残っていた言葉…勿論、違和感として…に対する、答えが、一瞬で閃いた。
英語能力は抜群だったO君だが、無意識的であれ、意識的であれ、日本の痴呆テレビを見続けて大きくなったはず。
この言葉は、実に、愚かな言葉なのである…恐らく、痴呆テレビに出ている三流芸人風情が、その発祥の言葉だろう。
O君よ、今は、こうとだけ言っておこう…下からの目線や、自分の目線しか持たない人間とは、愚か者の別名であると。…
これらの者が嘘を言い、人を傷つけ、権力志向の阿呆になるのだと。
昨日、今日、君がテレビで、嫌になるほど観たであろう人間の異様さは、そこにあるのだ。
自分の為に、国に取って有用な人間を敵として、その人間がBS11で放映される時間に合わせて、急きょ、ニュース・ステーションに出演(芥川は、たまたま、ながら観していたのだが、新年早々に、なんで、彼が出て来なければならないの?何のためにテレビ朝日は、そんなことをするの、と、怪訝に思った)、途端に、視聴率が6%台に落ちた…一昨日の毎日新聞より…
下から目線、自分の目線というのは、哲学のないものの目線、本当の思索と言うものを持たない人間の目線なのである。
南禅寺の方丈の庭で言えば、六道の庭…人間が悟りを開くのが難しいのは、常に、六つの煩悩に捕われているからだ。
昨夜、伏せ字で書いた部分は、「嘘つきは泥棒の始まり」「嘘つきは民主党の始まり」という物だった。
さて、読者諸兄よ、今日の、この、芥川の、「上から目線」論は、1.2億人に、ただ一人の、芥川だから閃いたことであって、皆様方に閃く言葉ではない…伊達に、21世紀の空海、最澄を名乗っている訳ではないのです。
例えば、徳川家康との対話だって、伊達ではないのです。
意気地無しの司馬遼太郎と、僕は、だいぶまえに、書き置いたのですが、皆さんは、知らないと思いますが、大阪外大を出て、産経新聞に勤めていた時に、戦争に徴収され、幸運にも死なずに帰還した彼が、ものを書きだす契機となったのは、「もし、日本国の統治者が、織田信長の様な人間だったなら、このような戦争をしただろうか?」と、思ったからなのです。
僕は、これは、正確ではないと、今は、明瞭に指摘する。
織田信長も、その資質があったのは、言うまでも無いことですが、完全な統治者として…明確な意思を持って…国の統治を完成したのは、徳川家康なのです…彼は、信長や、秀吉に比べれば、実は人気がない人物だと思う…
芥川も、二条城を…40年の時間を経て、再訪するまでは、漠然と、そう思っていた。
大阪を人生の舞台としたから、尚のこと…元は、三河の田舎侍じゃないか…名古屋城は、大阪城には、比べられない小ささじゃないか、等とも思ったりしてもいた。
実は、全く違うのである…彼は日本史上では最重要人物の一人として、位置づけられなければならないのだ。
読者の方々は、これらの全てが、全く、芥川賢治の、閃きであり、いまだ、かつて、誰も指摘してこなかった事を、芥川が、書き出した、と記憶して下さい。誰かが、変な剽窃や、無断引用を為しているのを見かけた時には、注意してやって下さい。
…芥川は、伊達に、Giftedと言う言葉は使わない。
地球一つを見るのだって、…地球のはるか上方の一点…「上から目線」を持たなければ、地球の全貌は見えない。
©芥川賢治