時に、芥川殿、後世は、わしらのことを三大英傑と言うそうじゃがのぉ…。

わしは、これは正しくないと思うのじゃ。 正確には、信長殿、秀吉殿、自分で言うのもなんじゃが、わしらは三河という地の利を得た三英傑というべきであって、この他に、わしらと同等の三英傑を挙げなければならぬとわしは思うのじゃ。 うむ。 武田殿、上杉殿、伊達殿じゃ。 御意。 彼らは地の利を得なかった三大英傑というべきじゃと、わしは思うのじゃ。武田殿との戦の数々は本当にこれ以上ないほどの戦いじゃったよ。

わしが日本国を統治してからの最大の脅威は伊達殿じゃったが、この男が偉かったのは、…わしらは地の利ゆえに必然的にそうなった面があるのじゃよ…覇権を求めず、自国(藩)の統治に全力を傾けた所に在るのじゃ。もし正宗公が覇権を求めた人物じゃったら、戦国時代はまだまだ続きさらなる血が流され人命が失われて国土も荒廃していたじゃろうとわしは思うのじゃ。それにじゃ、この男が本当に恐ろしい人物じゃと思ったのはわしに対する恭順の意を誰もがあっと驚く美学で…或る時なぞは見事な鎧冑の下に真っ白な死に装束で現れおったのじゃよ。なんという美学の持ち主かとわしは痛く感じいったのじゃが、その反面、わしが仙台藩を無体に扱う構えを見せたりしないようにじゃろうが、あろうことか、わしらの時代に遥か遠くのローマ法王に支倉常長を派遣しよったのじゃ。げに、端倪すべからざる人物じゃった。つまり、あれほど人の意表を突く見事なまでの美学でわしに対する恭順の意を示しながら、わしに強烈なプレッシャーをかけて来よったのじゃからのぉ…我が国(藩)に無体な振る舞いを為される場合は、わしはローマ法王を我が味方として交戦しますぞという意思表示をして来よったのじゃからのぉ。あれはまっこと藩主の鏡じゃったが、恐ろしい大将じゃったよ。

うむ。家康殿は正宗公の(し、おくりな)、あるいは諡号(しごう)が、貞山であるjことは御存じでござろう。かれが造った日本最初の運河である貞山堀…塩竃から阿武隈川河口にかけて掘られた運河で、江戸時代初期・中期・明治時代の3時期の区間からなる。 貞山堀の名称は、伊達政宗の法名からとられ、明治時代に完成したときに命名された。…は、わしの生まれ故郷に在るのじゃよ。

わしは子供のころ此処で泳いだり朝早く起きてゴカイを取って学校に行く前に港で魚釣りをしたりして育ったのじゃ。あの頃は短時間に驚くほど魚が釣れてのう…はぜがほとんどじゃったが、かれいやヒラメが掛った時の醍醐味はいまだに忘れられんほどじゃ。雨の日の翌日にはなまずやウナギがかかって難儀したりしたものじゃったよ。

 

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