芥川殿、ウィキペディア、もっと、もっと見たいものじゃ。 御意。

文禄元年(1592年)から秀吉の命により朝鮮出兵が開始されるが、家康は渡海することなく名護屋城に在陣することだけで許された。『常山紀談』には、本多正信の「殿は渡海なされますか」との問いに家康が「箱根を誰に守らせるのか」と答えたエピソードを残している。渡海せずにすんだのは小田原の役で先鋒を務めたための優遇措置との見方もある。「際限なき軍役」といって苦しんだ朝鮮出兵で渡海を免れたために、家康は兵力と財力の消耗を免れ、自国を固めることができた

その通りじゃよ。

 

 

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続けてくだされ。芥川殿。