うむ。
家康は9月9日に登城した際、前田利長(前田利家の嫡男)・浅野長政・大野治長・土方雄久の4名が家康の暗殺を企んだと増田・長束両奉行より密告があったとして、10月2日に長政を甲斐国・府中で隠居の上、蟄居させ、治長は下総国の結城秀康のもとに、雄久は常陸国・水戸の佐竹義宣のもとへ追放とした。さらに利長に対しては加賀征伐を企図するが、利長が生母・芳春院(まつ)を江戸に人質として差し出したことで出兵は取りやめとなる。しかし、これを機に前田氏は完全に家康の支配下に組み込まれたと見なされることになる。家康の暗殺計画は、家康を大坂から追い出し挙兵しようとする三成らの謀略であったとも言われている「要出典」。
