続けて下され。

東軍は、家康の徳川直属軍と福島正則らの軍勢、合わせて10万人ほどで編成されていた。そのうち、一隊は徳川秀忠を総大将として宇都宮から中山道を、家康は残りの軍勢を率いて東海道から上方に向かうこととなる。一方で家康は江戸城に1ヶ月ほど留まり、160通近い書状を諸大名に回送している。
正則ら東軍は、清洲城に入ると、西軍の勢力下にあった美濃国に侵攻し、織田秀信が守る岐阜城を落とした。このとき家康は信長の嫡孫であるとして秀信の命を助けている。

 

 

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