御意。
慶長8年(1603年)2月12日、後陽成天皇が参議・勧修寺光豊を勅使として伏見城に派遣、六種八通の宣旨が下り、家康を征夷大将軍、淳和奨学両院別当、右大臣に任命した。武家の棟梁が征夷大将軍への任官に伴い源氏長者ほかの官職を与えられる栄誉は足利義満から始まった慣例である。

慶長8年(1603年)2月12日、後陽成天皇が参議・勧修寺光豊を勅使として伏見城に派遣、六種八通の宣旨が下り、家康を征夷大将軍、淳和奨学両院別当、右大臣に任命した。武家の棟梁が征夷大将軍への任官に伴い源氏長者ほかの官職を与えられる栄誉は足利義満から始まった慣例である。
