途中ですが。
今朝、この「1月16日の二条城」を初めてチェックし終えたのですが驚きました。今度は、或る石の上に戦国武将の顔が浮かんでいるではありませんか。
芥川は、その顔が向いている方角と言い家康殿であるとおもうのですが、いずれにしても戦国武将の顔は実に厳しく険しいのだと痛感した。生死を分ける常在戦場の状態が100年も続いた訳ですから当然でしょう。
その時、つくづく思ったのですね。武将たちの(特に戦国時代)ドラマを事あるごとに放映するのが好きなテレビ局ですが、現代のへなへな顔…いわゆるサッパリ顔やしょうゆ顔等のタレントや俳優をあてがうのは止めた方が良いと。
その本質は女性の視線や良い女を掴みたいに在ると極言してもそう外れる事は無い、現代の単なるええかっこしいに戦国武将の役が務まる訳はない。彼らの顔は現代人の顔では全くないのですから。使うのならば破れ鍋に綴蓋顔か女にもてるとかは関係の無い極めて個性的な顔…どちらかと言えば悪役顔でしょう。
それ以外に、戦国武将や一国一城の主の顔は有り得ないと芥川は思う。善男善女がいるのが民主主義社会とすれば侍の世界とは或る面でとんでもない世界、ロクな世界ではなかったのですから…古代と同様に。
つまり21世紀に於いて、やたらと昔を語る様な輩はロクなもんではないのです。昔で視聴率を稼ごう、人気を取ろう…げに、最低の有り様。
例えば徳川家康をきちんと伝えたいのならば1時間あれば足りる…ウィキペディアをみっちりやる…その結果、派生する事ごとで更に1時間、或いは2時間かかるかもしれませんが。1年間かけて現代のええかっこしいの顔を嫌に成るほどのアップで捉えても多分ことの本質は全く伝わらないでしょうし、理解されない、ましてや認識されることはないと芥川は思う。
それがテレビの陥穽だと僕は思うのです。
芥川は明治維新に在った重大な間違いを指摘できる1.2億人に、ただ一人の人間でしょう。
だからこそ家康殿が、尊氏殿が姿を現す(笑)のだと確信しているのです。