あれは、やっぱり家康殿でござるか。
それはそうじゃろ。嵐山で尊氏殿の天龍寺を見尽くしたうえでじゃ、雪のちらつく寒さの中を、わが東屋(あずまや)でお茶を飲みながらわしと語るだけのために訪れるような人間は、お主一人しかおらぬではないか。その一人の意味合いたるや今では連日世界中から様々な人々が我が城を訪問してくれている訳じゃが、たった、それだけのために、寒く日も陰った午後遅くに500円を払って入る者は一人もおらぬじゃろう。だからじゃよ。 御意。 わしは既述した商社マンが「きじるしキーチャン」と綽名したようなところがある人間じゃからのぉ。 うむ。 そのものではないのか。 およよ。わっはっはっ。あっはっはっ。
