仏教用語としての、「下品」。
予算の大半は…殆ど全部は…官僚が作ったものを、さも自分たちが作ったかのような顔で、ぬけぬけと物をいうのと、
自分こそが、テレビに出ていただけの事を利用して、市長になったことはすっかり忘れたかの如くに、・・・蛮勇を振ってでも20年に及んだ大阪の大凋落を食い止める…ひいては6大地方の復興、興隆をなんとしても図ろうとするものを、・・・1,000人がテレビに出て一票なぞと、良識派ぶった様な事を言ったと、小さな囲み記事があった、某市の市長もまた、冒頭の者たちに代表される人間たちと同じ党に所属しているのは、単なる偶然ではない。
みな、同じ、「下品」、の産物なのだ。