時に芥川殿、知恩院に行ったのは何時じゃったかのぉ。…千姫のこと。

12月26日じゃった。 うむ。 なるほどのぉ。 わしとお主の間には、やっぱり深い縁があったのじゃのぉ。その時は、知恩院が、我が一族が三河時代から帰依しておった寺だとは全く知らなんだわけじゃしのぉ。 御意。 家康殿、ここでわしが先ず感じた事は京都きってのアスレチック寺院じゃ、と。 うむ。 道順に沿って行った訳じゃが最後の戸を開けた場所が、お墓そのものでのぉ、何故、ここに千姫の墓があるのかも、しかとは知らず、そう言えば千姫は非業の死を遂げたのじゃったかな、等と思っていたぐらいでのぉ。 ありゃ、まぁ。 そもそも、わしはそういうことにはあんまり興味がなかったのじゃ。 うむ。 ところがじゃ、あの日に限って、何故か、その正に墓場に…だから大半の観光客も、流石に、ここでは殆ど見かけなかったのじゃが…足を向けたのじゃ。 うむ。

思えばあれが何かの始まりじゃったのだが、お決まり事のように、仕方なくという感じで、千姫の墓に向かった時に、この冬、わしの恋人になっていた万両というか、南天と言うか、を大きな墓の四隅に一杯飾っていた、佐々木氏の墓が目に留まったのじゃ。うむ。 おおっ、芥川と同じように、生前、こよなく万両を愛した人じゃったのじゃな、と。 そして形ばかり千姫の墓の前に立ったのじゃ。 うむ。

そやから、ついさっきまで知らなんだのじゃよ、千姫の事は。あの日の延長で非業の死を遂げたとばかり思っておってのぉ、おまけに、わしはお主の娘で、結果的に、お主が死なせた人だと思っておったのじゃよ。 ありゃまぁ。これはまた。お主と言う人は、ほんに、呆れた人じゃのぉ。

それでじゃ、さっきの地下鉄の中で、今度、知恩院に行った時に、突然、号泣したりすることはないじゃろうな、という家康殿の心配に対して、なに、例え、そうなったとしても、あそこはとんでもない処に在るから、人目にもつかぬから、それはそれで。 と、わしが言ったら、そんな処だとは千姫が不憫じゃなどと言って、お主の方が泣き出すものだから、わしはなだめたじゃろう。 うむ。

お主に、ここで泣かれるようでは、わしは自信がないぞ、人目もはばからず号泣してしまうかもしれん。 もし、その姿を、以前に書いた商社マンである、親友二人に見られたら、ありゃ、「きじるしきーちゃん」が、ほんまにきじるしになってしまったか、とはやしたてられるかな、等といったじゃろう。 うむ。

それでじゃ、帰宅してすぐにウィキペディアで千姫と叩いて見たのじゃが、なんとまぁ!   およよ。

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