時に芥川殿。 うむ。
今日、突然訪ねてまいったのが、お主の妹でござるか。 御意。 なかなか心根の美しい女御のようじゃったが。 御意。 この妹とだけは関係は断ち切ってはおらぬのじゃろ。 御意。今日は、また、何の用で。 うむ。 実はのぉ、家康殿。 うむ。 わしの生まれた家がなくなってしまったのじゃ。 あちゃー、これはまた。 縁を切った馬鹿者どもがのぉ。 うむ。 田舎じゃから、それなりの家じゃったのじゃが、たった290万円ほどで競売されたのじゃ。 うむむ。無理をしたら何とか為ったのじゃが、以前ににも話したように、これが最後の神の声、という様な事が数年前に遭ってのぉ。…言うまでもなく、こころの故郷じゃったが、涙を飲んでじゃ、何もしないことにしたのじゃよ。 うむむ。 余程のことじゃったのじゃろうのぉ。
出版のことに要するのと同程度のお金じゃった訳だから、何もなければ、お主なら何としても置いておきたかったじゃろうのぉ。 うむむ。言わば、うさぎ追いしかの山がなくなったようなものじゃからのぉ。 うむ。じゃが家康殿、これが、わしの人生じゃったのじゃ。これら全てが神の意志じゃったのじゃよ。
そういえば、お主の妹も何の連絡もなしに来たようじゃったが、あの女御はまだしも、芥川殿の家族だった者たちは、貴殿が何者かが全く分かっておらぬのではないか。 御意。じゃが、家康殿、たった60数年前にemperor-banzai-fascismをやった、この国で、本当の家庭なぞ10%あるかないかじゃろうと、わしは思っているのじゃ。もう、わしには、原初的な記憶としての家族なぞは、どうでも良いんじゃよ。 うむむ。うむー。
それにじゃ、家康殿。 うむ。この妹がわしの写真を持って来てくれたのじゃが。 うむ。その中に、すっかり忘れていた物が幾つかあってのぉ。 うむ。 その中に、正に神童といっても過言ではなかった、このわしが、中学生の時にじゃよ。 うむ。 仙台から遥か遠くの国立鳥羽伏見商船学校を受験しようとした書類があったのじゃよ。 うむ。 わしは、ただ家を出たかったのじゃな。…それほどだったかと参ってしまったのじゃ。 うむ。
泣くな芥川殿、わしも、国のために幼い頃から人質になっておったのじゃからのぉ。お主の気持ちは分かるだがゃ。