狭き門 アンドレ・ジイド  三年三組 芥川賢治。

家康殿。 うむ。 先ほどの、「野の百合となって」、なのじゃが。 うむ。 わしは何故、こんなことを書いたのか思い出せなかったのじゃが。 うむ。 何と、今、その答えが見つかったのじゃよ。うむ。 表題の、原稿用紙9枚が在ってのぉ。わしが、何という字じゃと思っていたことは前述の通り。うむ。 この原稿の裏に国語の先生の万年筆で書かれた見事な字での(評)があったのじゃ。それで、読んでみようと思ったら意外にちゃんと分かった。わしの字は昔の公家の様な字体だっただけで、スラスラとは行かなかったが支障なく読めたのじゃよ。お主の字も決して読めないほどの悪字ではなかった、と歴史家が書いておった。 御意。

この、野の百合となって、の、「野の百合」とは、ジイドの表題の小説で最も重要な言葉じゃった。

わしは以下のように書きだしていた。・・・僕は、この本を、夜、何の気なしに読み始め、それから、真夜中まで眠ることさえ忘れて読みました。いや眠る気がしなかったのです。この本を読み終えるまでは。そして、自分の中にある、愛と涙をもって一気に読んだつもりです。もって読んだのではなく引き出されたんです。この小説に。この感想文を書くために、もう一度読んでみましたが、また最初に読んだ時と同じように一気に読まされました。この小説は、だれでも考えだすとわからなくなる問題に対し、アリサとジェロームの愛の中から、一つの答えを明白に出しているものと思う。それは神と人間、信仰と人間といった問題なんですが、アリサとジェロームの愛の展開を読んで行けば、そこに最後にでてくると思います。この物語の中の主人公、ジェロームとアリサの二人は非常な感受性を内にそなえていたものと思う。…以下略。何せ原稿用紙9枚ですから(笑)

こういう芥川には、やっぱり作家として書いてもらおうと思われた出版社の方は、susetrubdown21_2010@mail.goo.ne.jp に、メールを下さい。(笑)

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