芥川が女の時代=女の平和=が早く来るべしと思う理由。

昨日、3月21日は彼岸でもあった訳ですが、知恩院・御影堂は、平生の法事よりも今回の大震災へ供養と回復で満たされていた…京都中がそうだった、と言っても良い。
後で知ったのだが、今年は3月11日以降は、東山花灯路も中止して。

これらの事は、此処では書けませんので…既述しまたように、作家と読者の関係でしか書けない、或いは、開陳出来ない性質のものですので、<ahref="http://www.mag2.com/m/0001229710.html">メルマガでご購読下さい。

この様な空気に満ちていた、おまけに彼岸の日にです。…芥川は同行者である専務と御影堂を出て、友禅庵側の階段を下りて、庭園設計に於ける、昭和の名匠、小川治平衛さんが設計した丸山公園に向かおうとしていたのですが、後方に、3,4人の大学生と思しき男性たちがいた。

21日が最後の拝観日だった、秀忠殿が建立を命じた素晴らしい建築物である、国宝の三門を見やりながら階段を下り終えようとした時に、突然、この若者たちの誰かが、大きな声と言うだけではなく、あんまりじゃないかと言うしかない…「ぶち殺したろか!」

ふざけ合いの言葉の響き等と言ったものではなく、心底からの声の響きだった。…芥川は、この響きが今も耳に残っている。昨日、こんな声を、あろうことか知恩院で聞いて、思った事は、或る売れっ子芸人の風貌と、しゃべり方…彼らは、お約束ごとの様にして、「下品」、テレビを占領して、笑いをとるためにしゃべっているつもりだろうが、こんなものを20年超、見続けて育った若者の中に、本当の、「下品」、に染まり、
様々な悪=「下品」、とは人間の三種の悪のことなのだから=に手を染め、果ては人殺しをなしたりする者が現れないと誰が言えよう。

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