俵屋宗達のことで、さもありなんと思ったのは…。

「レンブラントより光琳」、と黒田清輝が言ったという尾形光琳について…へぇーっ、光琳は、そんなに凄かったかなぁ、と思ったのは…先般、建仁寺を訪れた時に、キャノンの見事な技術でデジタル複写した物…限りなく現物に等しい物です…を観て、再認識していたこと…宗達は凄い。

芥川の印象では光琳よりも宗達が、極言すれば遥かに上との認識が在ったからです。
…風神雷神図を比べれば、誰の目にも明らかでしょう。

昨夜、さもありなん、と思った事は、前章にも繋がっている事です。

以下はウィキペディアの、「評価と作風」から。 黒字化は芥川。

現在では光琳が私淑し、光悦と並んで琳派の祖と言われるが、江戸時代後期から明治時代にかけては評価が低く、光琳の画の方が上だとみなされていた。そのため、明治期に代表作の松島図屏風を始め、多くの作品が海外に流出しても、それを憂える声は当時全く聞かれなかった。

しかし、大正2年(1913年)4月25日から30日に「俵屋宗達記念会」が開催、僅か5日間の会期でありながら、小林古径や平福百穂、速水御舟ら若い画家たちに強い影響を与えた。これを切っ掛けに画集や関係書の刊行が相次ぎ、評価が見直され、現在では光琳以上に評価が高い。風神雷神図ほか3点が国宝に指定されている。

著名な「風神雷神図」のような装飾的大画面のほか、水墨画の作例もある。水墨の名作「蓮池水禽(れんちすいきん)図」は、生乾きの水墨にさらに濃淡の異なる墨を含ませて「にじみ」による偶然の効果を狙った、いわゆる「たらしこみ」の技法が用いられている。

*勿論、光琳の紅白梅図屏風(白梅図)『燕子花図』(かきつばた ず)、六曲屏風、根津美術館、国宝

『紅白梅図』、二曲一双屏風、MOA美術館、国宝 等が、素晴らしい物である事は無論ですが。

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