結局、1号機の「ベント弁」を開けたのは、菅首相の視察が終わった約1時間後の午前9時7分。

結局、1号機の「ベント弁」を開けたのは、菅首相の視察が終わった約1時間後の午前9時7分。その後、官邸に戻った菅首相が、与野党党首会談で「大丈夫だ」と断言したまさにそのころー午後3時36分に最初の水素爆発があったのである。 

「現場にノコノコと最高指揮官が行くと、かえって混乱して迷惑になる。そんなのは常識です。07年の新潟県中越沖地震の際も、当時の安倍晋三首相がすぐに柏崎刈羽原発に飛んでいった。まさにデジャブ。あのときも視察後、微量の放射性物質を含んだ水が外部に漏れていたことが発覚したんです」(当時の官邸関係者) 

…週刊朝日今週号より。

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