日本経済新聞 2011年3月25日 私の履歴書 安藤 忠雄から。
(文中敬称略)
芥川は、安藤忠雄と、たびたび、無言で、遇ったことがあるのだが、…彼の双子のお兄さんとは、東京で、彼の事務所に連れて行かれて、直接話したこともある。
先日、弊社専務が、安藤忠雄を、…弊社事務所近所に在る、何と言う事もない、ごく普通の散髪屋さんで…見かけたと、話していたが。
思うに、彼とは、実は何がしかの縁が在って、…多分、その人生経歴に…度々、遭遇していたのだろうと思いもする…それらの事は、いずれメルマガに書きますから、その時に、お読みください。
今は、彼の…日本経済新聞 2011年3月25日(金)22面 私の履歴書 安藤 忠雄…から抜粋します。
JR京都駅の大階段を見上げるたび、優れた建築への素直な感動と、悔しさがこみ上げる。1990年、新しい京都駅の国際建築コンペ(設計競技)に指名を受け、参加した。鉄道によって分断された京都の南北を空中広場と巨大なガラスのゲートで結び付ける「平成の羅生門」のアイデアで臨み、最終選考まで残ったが、結局落選。当選した原広司さんの案は確かに魅力的だった。現実にできあがった建物を前にすると、改めて構想力の違いを思い知らされるのだ。
2001年秋、東京大学で行った連夢講義を本にした。タイトルは「連戦連敗」。建築家は夢をもって向かってもたいてい、思い通りにはいかない。その負け続きの人生を生き抜く自信があるなら頑張ってみろ、と学生たちへ私なりのエールを送ろうと考えたタイトルだ。
本が刊行されると、周囲の友人に「連戦連勝だろう」と冷やかされたが、彼らは現実を知らない。公募型のコンペなら、数百の設計事務所がライバルとなる。建築のアイデアだけを武器に戦いぬくのは容易なことではない。どんなに力を注いでも、負ければゼロである。でもそのアイデアは、必ず次の建築の糧になる。
そう思ってしつこく挑戦を続け、連敗の記録を更新する。
真剣勝負は力量の差という現実を思い知らされることがあるので恐ろしい。しかしその緊張感のなかでしか生まれないのが創造力である。
…以下略。