「原発を作れば国民は長生きできる」…週刊文春4月7日号から。
「原発を作れば国民は長生きできる」 渡部恒三 東電との蜜月
「(福島)県民が非常に心配している。皆さんの安心安全のため、百パーセントを超える努力をするようにお願いした」
福島第一原発の爆発から二日後の三月十四日、福島県選出の渡部恒三民主党最高顧問は、海江田万里経産相に要請した。
ところが、かつて渡部氏は原発について呆れたトンデモ発言をしていたのだ。
「福島県には日本の原発の三〇%近くがあるが、そこで育って暮らしているこの私がこの通り元気一杯なのだから、原子力発電所を作れば作るほど、国民の健康は増進、長生きし、厚生行政は成功していくのではないかと思う」(八四年一月五日) 当時、渡部氏は厚生大臣。
都内のホテルで開かれた日本原子力産業会議(当時)の新年名刺交換会の挨拶で、こう宣(のたま)ったのだ。同会議はその名が示すとおり、原発メーカー、電力会社、原子力研究開発機関などで組織される原発推進団体だ。
この席で渡部氏は次のようにも語っている。
「私はエネルギー問題を解決する最大の課題は原発の建設であるとの政治哲学を持っている」
また、八〇年四月には、衆議院商工委員会で、こう発言している。
「原子力発電所の建設の一番大きな阻害になっているのは、(略)安全性に対する国民の認識の問題だ(略)原子力発電所の事故で死んだ人は地球にいないのです」
元東電会長との仲
さらに、前福島県知事が反対していた福島第一原発へのプルサーマル導入を決めた佐藤雄平知事は、渡部氏の甥にして、長らく秘書を務めた人物である。
渡部氏がここまで原発に肩入れしたのは、なぜなのか。
東電関係者の解説。
「渡部氏は、東電の“中興の祖”といわれる故・木川田一隆元会長と駝懇の仲だったのです。渡部氏が一年生議員のころ、当時社長だった木川田氏が福島出身だったので、後援会長就任を打診したほどです。また、福島第一原発を作ったのは木川田氏が社長の時代でもありました」
渡部氏は故・平岩外四氏、那須翔氏の両元会長とも親しかったが、現在の菅内閣の中にも渡部氏と同様に、東電幹部と親しい大臣がいる。
それは、江田五月法務相と、海江田万里経産相だ。
彼らは東電幹部がメンバーとして参加する「十人十色の会」という会合を定期的に開いているのだ。
雑誌『自由』の発行人だった石原荊記氏が主宰する十人ほどの懇親会です。東電の次期社長候補といわれた鼓紀男副社長、元東電労組書記長で元連合会長の笹森清氏(現内閣特別顧問)もメンバーです。二、三年くらい前から始まり、当時、江田氏が参院議長だったので公邸で集まったことも数回あります。
…以下略。