米ソが大気圏内の核実験を繰り返していた60年代までは、たしかに東京における

週刊新潮4月14日号から。 黒字化は芥川。

同様の願いから、あるレポートを書いたのは、神戸市立工業高専の二河昌証准教授(理論核物理学)で、「福島に支援物資が届かなかったり、ボランティアが来なかったりという深刻な状況を聞き、心を痛めています。これでは原発を必要以上に怖がるあまり、被災者の命を脅かすことにすらなります。放射能は決して軽視すべきではありません。しかし、核実験の時代にも日本には放射性物質が降ってきており、それによる健康被害は疫学的に確認さたていないことも、知っておくべきだと思います」
 
そう話す一瀬准教授による〝レポート″とは、冷戦時代に米ソなどが繰り返した核実験によって日本に降下した放射性物質と、今回の事故による被曝とを比べたもの。要は、原爆を除いても、日本人が広範阻にわたり放射性物質による被曝を受けるのは、今回が初めてではないというのだ
 
一瀬准教授が続ける。「米ソの大気圏内核実験からの放射性降下物は、1949年から日本にも届き始めました。63年に米英ソの間で部分的核実験禁止条約が締結されると、地下を除く核実験が禁止されましたが、中国やフランスはそれに加わらず、70年代にかけても両国の核実験から放射性物質が降りました。が、やはり凄かったのは60年代前半で、日本人の体内セシウム137の量が大幅に増えたことも確認されています。

今回の福島の事故で、関東地方でも放射性物質が雨とともに降下しましたが必要な警戒さえすれば、核実験の際と比べ、内部被曝も健康への影響がない範囲で抑えられると思います」 具体的な数値には少しずつ触れるとして、実は、こうした研究は一瀬氏のオリジナルではない。

基礎になるデータを収集していたのは、気象庁気象研究所で、「米ソの核実験が盛んになった1950年代 塵や雨に混じって地表に落ちてくる放射性降下物を、2メートルXI・2メートルの水盤で採取し、その量を1ヵ月ごとに計測してきました。計測地は東京の高円寺、80年代からは茨城県つくば市で、観測してきた降下物はセシウム、ストロンチウム、そしてプルトニウム。観測記録は世界最長です
 
と、同企画室の広報担当者は胸を張る。ちなみに今回、各所で多く検出されている放射性ヨウ素は、半減期が8日と短いため、月単位のデータ収集には馴染まないそうだ。話を続けると、「米ソが大気圏内の核実験を繰り返していた60年代までは、たしかに東京における放射性セシウムの降下量は、今回、福島の事故が起こる前までの1000倍以上の数値でした
 

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