「兵士はどうやってグラモフォンを修理するか」 サーシャ・スタニシチ〈著〉

4月3日、日経新聞読書欄から。

評者:松永 美穂 早稲田大学・ドイツ文学  黒字化は芥川。

ユ一ゴ内戦 少年の目線で物語る

 旧ユーゴスラビアから14歳で内戦を避けてドイツに移住し、ドイツ語で書くことを選択した若者の、初めての著書。ドイツ語文学では多和田葉子を始めとして非ドイツ語圏出身者の活躍が目覚ましいが、2006年に出版されたこの本はなかでも話題になった一冊だ。
 
内戦が少年の目線で描かれているのが特徴である。教室からチトーの肖像が外され、先生が「同志」という呼び名を拒否するあたりから不穏な空気が漂い始め、気がつけは町には砲弾が飛び交い、アパートがセルビア軍兵士に占拠されるに至って、美しいドリーナ川に抱かれた故郷の町はすっかり相貌を変えてしまう。
 
細やかな記憶に満ちた、故郷喪失の物語。旧ユーゴの歴史を知らなくても、切々たる哀訴の思いは十分に伝わるだろう。そもそも主人公の少年自身、内戦の事情を熟知しているわけではない。ただ、その徹底的な理不尽さを見聞し、10年後に故郷を再訪して、あらためて喪われたものを確認することになるのだ。
 
悲しい物語でありながら、驚くべき詩情とユーモアにまれている。町への思い、川への愛着、家族や友人への追慕、消息のわからない少女への呼びかけ。同時に、猥雑で陽気で、不思議な透明感にも満ちている。サラエボ出身のエミール・クストリッツア監督の映画「アンダーグラウンド」で、夜の街路を疾駆していたブラスバンドを思い出してしまう。ちょっとした理由でしょっちゅう宴会を開いては騒ぎまくる田舎の親戚が登場したりするが、滑稽でどこか哀しいそんな人々のことを「物語る」使命を少年が意識する点が興味深い。
 
内戦と亡命を経た少年の成長の記録であると同時に、作家デビューする青年がどうしても最初に書かずにはいられなかった、自己確認の書でもあるだろう。雨のなか、主人公が叫ぶ「ぽくはここだよ」の一言が胸に突き刺さる。

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