さらに続く…「週刊朝日」4月22日号から。
パソコンだけ使わせてほしいと私か言うと、「何か悪さしなきゃいいですよ」と言って、少し話し込んだ。
男性はゆっくりとこんな話をした。
「放射線は怖いです。でも、ここはやはり生まれ育った町だから、離れたくないんです。みんなそうなんじやないですか」
車中で眠り、翌4月2日を迎えた。
半径20キロの避難指示区域と半径30キロの自主避難区域、半径30キロ以上の区域が混在する南相馬市には、いまも約3万人が市内にとどまっているとみられている。
早朝、普段着にマスク姿で国道6号を犬と散歩していた男性はこう言った。「女房と3月27日まで避難所にいましたが、窮屈だから家に戻ってきました。放射能は怖いけど、ここは第一原発から遠いから。また次に(原子炉が)爆発するようなことがあれば逃げるけど」
南相馬市を出て、大熊町に戻った。街には、やはり動物たちしかいなかった。首輪を付けたまま、犬が数匹で道路を歩き回る姿を見かけた。犬や猫などのペット、それに牛、馬などの家畜がエサを探して街をさまよっていた。牛たちは寒いせいなのか、集団でビニールハウスの中にいた。
避難指示区域のペットの保護活動をしているNPOエンジェルズの林俊彦代表によると、20キロ圏内には約3万匹のペットがいる。
現在、約600件の保護要請がきていて連日レスキュー活動を展開しているが、とても全部は助け切れないという。
「避難指示が出たときは、みんな2~3日で家に戻ってこられると思っていたようですが、動物が水とエサなしで生きられるのは10日か限度。タイムリミットが迫っている」(林代表)
大熊町の中心付近に入ると、福島県原子力災害対策センターという建物があった。看板を見ると、「経済産業省 原子力安全・保安院」とあったので、駐車場に車を止め、原発の現状を聞こうと、扉を押した。カギはかかっていなかった。無人の部屋には、やかん、ペットボトル、ポリタンク、使用済み防護マスクなどが無造作に置かれていた。震災後、ここで慌ただしく対策会議が開かれた様子がうかがえた。だが、人が現れる気配がなかったので、取材をあきらめた。
ドキドキのスクリーニング
保安院によると、この施設は、福島原発の定期検査などのために検査官がいる現地事務所のような存在で、8人が常駐している。
震災当日の3月11日から保安院の前線基地として使われていたが、電源がなくテレビ会議ができないことなどを理由に、3月15日昼に移動を始め、16日から福島県庁に機能を移した。
その後、原発内の作業員が寝泊まりしているJヴィレッジで菅直人首相の視察を取材した。日本の報道陣はだれもいなかったが、イタリア人の新聞記者が1人来ていた。
東京に帰る前、いわき市の保健所で、被曝線量を測定してもらった。