僕は哲学がだいじじゃないかなと思っています。哲学がこの国になくなったから、
3週間以上も屋内退避理由がわからない
鎌田 僕が南相馬に入った以前から、屋内退避、そのあと自主避難要請ということになるわけですけども、決定が非常に曖昧です。あれは短期間の処置ですよね。長期間やるのなら、人と物をしっかり外から入れるということが大事。そのことを官邸はやれなかったなあと思って。
山下 まさにそうです。屋内退避させたら、退避した人たちを支援しなくちゃいけない。それは24時間です、ふつうは。24時間たったら避難か安全宣言するのが原則です。それをいずれもしなかった。理由があるんでしょうね。よくわかりませんが。
チェルノブイリのあの土壌汚染のマップを見てわかるように、汚染は風向きでまだらに飛ぶから同心円では広がらない。あくまでも行政区分です。僕はずっと30丿外でも必要に応じて避難させんとだめだということを言ってるんです。そういう話をちらっとしたら、4月5日、飯舘柿の菅野典雄村長は、「わしはがんばる」とはっきり言いました。村を再生して、世界の放射線安全宣言のモデルになると言っています。感銘しました。政府は6日、妊婦さんと3歳までの子どもたちは外に出して、経済的保障をすると言ってきました。現場の声が届いたと思います。しかし、村の苦難は続きます。
鎌田 マスコミにあんまり大きく取り上げられませんでしたが、あれは大ヒットです。
…中略。
鎌田 僕は哲学がだいじじゃないかなと思っています。哲学がこの国になくなったから、こういうことが起きてしまった。自己批判してるんですけども、チェルノブイリに僕は20年通って、原発の持っている危険をわかっていながら、日本のいま置かれている状況や若者の雇用を増やすために、原発はやっぱりしょうがないかなあとかって思ってしまった。これ以上原発を増やさせなければいいと考えていた。この国に漂っている空気に負けた自分に問題があったんじゃないかと考えたりします。
いまは中長期という言葉の具体的な期間についてを住民はいちばん知りたいと思いますが。
山下 放射性降下物の影響から考えると何年も続かないでしょうね。広島・長崎の原爆のことを思い出してもらえればいいと思います。あのあと、草木も生えないと言われた。でも、3ヵ月目からもうすぐにみんな戻ってきて、復興しました。そのひとつの理由は、日本は恵みの雨の国なんですよ。放射性降下物は、だいたい雨に洗い流されます。セシウムー37は30年の半減期だから、けっこう土壌に残るんですが、じゃあ30年かというと、おそらくその半分、あるいはもっと短いと思いますよ。
日本のハイテクはすごい。土壌の改善とか改良技術を最大限に生かすと思います。問題は、長期の健康影響です。いまの子どもたちががん年齢になったとき、本当にこの被ばくの影響がないのか。私は福島に日本の英知を結集してそういう拠点をつくるべきだと主張しています。
鎌田 放射性降下物の量で比べると、僕は日本もチェルノブイリの50分のIぐらいの被害を受けてるんじゃないかなあと思ってるんですけど、違いますか。
山下 私はチェルノブイリの100分の1ぐらいと聞いています。それは、かなりの量が出たということです。
鎌田 僕は南相馬の後に、少し時間を置いて石巻、女川などに入りました。石巻とか、女川では3週間たってもお風呂に入ってない人たちがかなりいます。阪神大震災とか中越地震のときは、まあ10日目ぐらいには多くの人はI回はお風呂に入ってました。医師の立場から言うと、お風呂に入ると、感染症対策にもなるし、精神的なダメージを克服できる。それがずいぶん遅れてると思いました。東北の人のがんばりはすごい。立派なもんだと思う。だから、その人たちがくじけない間に、物も人もカネも、僕たちがしっかり投人するということかだいじで、投入することによって新しい日本が生まれてくるはずです。
構成 本誌・山本朋史