どっこい英国は死なない——ジェイン・オースティンと文明の持続力
エピソード形式の映像に時間を奪われた体験から、英国映画と文学、階級社会、クラシック音楽の誕生背景、そしてジェイン・オースティン作品の本質に至る思索を描く。ハリウッドと英国文明力の差異を浮き彫りにする文化論。
数日前の夜、珍しく、映画が見たいなと思った。
そこで、プライムビデオで選ぶことにした。
以前、一度書いたことがあるのだが、私はネットフリックスに加入し映画を観た後の翌日にすぐ解約した。
加入した理由はネットフリックスがハリウッドで勢力を拡大している事を知っていたからだった。
早速、映画を観た。
或る著名なアクション俳優が出てくる映画だったのだが、なんと、エピソード形式、つまりテレビドラマ形式だった。
いいところで終わって次、次と続けられ、ついつい終わりまで観てしまった。
夜の早い内に見始めて、終わったのは何と明け方だった。
おまけに視聴者を引っ張ってゆくだけのアクション映画だから、何も残らない。
莫大な時間の浪費だけが残った。
目覚めて、すぐ解約した。
数日前と昨夜と、同様に、エピソードの連続に引っ張られて夜更かしになってしまったのに、プライムビデオは解約しない。
それは、長い時間を費やした値打ちがあったからである。
私は、中学生時分に、イギリス物のなかでは、「ジェーン・エア」と「嵐が丘」は精読・完読した。
「高慢と偏見」だけは何故か完読しなかった。
敬して遠ざけた。
それが、コリン・ファース主演で在ったからである。
私は、本欄として登場して直ぐに、欧州は今でも階級社会である事を書いた。
ノーベル賞に値する着想だった「文明のターンテーブル」。
それが何故、今、日本に回っているのか。
その根本原因の説明に不可欠だったからである。
私が、今でも、全く嫌いではないのだが、MLBに対しての様には好きになれない理由は、サッカーとは、そもそも、欧州の労働者階級の不満のはけ口としてできたものだからである。
最近は、以前とは様変わりしたと言っても良いぐらい、「ずるがしこいプレー=遅延行為等」が激減している。
以前に比べれば、普通にスポーツファンとしてサッカーを観ている。
今の世界的に有能な選手も大体知っている。
彼らのプレー及び、今の日本代表には熱視線を注いでいる。
さて、上記の映画を観た私は、総括すれば「どっこい英国は死なない。英国は生きている」と感じた。
あのような映画が作れる文明力は健在だったからである。
中国に媚びだしてから、何の価値もないと一括しても良い、アクション映画主流のハリウッドのはるか上に在る映画。
最も良かった時代のハリウッドが今の英国に生きている、そうも思った。
気づいて良かったのか悪かったのかと思ったこともあった。
上記の映画が始まった瞬間に、このような映画には、やっぱりクラシックなんだよな、と思った。
と同時に、そのような世界からクラシックは生まれた事に気づいた。
今でも残されている英国独特の自然の美、庭園、緑。
それらは私有地であれば貴族所有のもの、それ以外は国立公園であろう。
つまり、クラシック音楽は貴族の風景の中で生まれた。
だが大作曲家たちの殆ど全員は大貴族の子供ではない。
もし、そうなら、全員が、就職=宮廷関係音楽楽団等になるために、必死の就職活動をする必要はなかったのだから、これは明瞭な事実。
閑話休題。
私は、コリン・ファースの、例に依っての名演、そのお陰もあって、敬して遠ざけていた「高慢と偏見」の全編を理解する事ができた。
つまり、最初から読む気力を削がれた、あの大作を読了することができた。
だが、ジェイン・オースティンの世界に嵌ってしまった。
昨夜、エピソード11だったか、終いまで観たのは「Sanditon」。
先夜の「高慢と偏見」といい、彼女が、あの時代の大流行作家であることを、皮膚感覚で認識した。
これなら、大流行作家になって当然。
同時に、私は、彼女たちの作風というか仕立ては、日本の、特に江戸時代の大流行作家と一緒だと感じた。
もっと遡れば、紫式部の源氏物語等が、18世紀から19世紀のイギリスで再現されていたと言っても過言ではない。
それが証拠に、この時代の主役は、彼女であり、私が精読・完読した、シャーロットは『ジェーン・エア』、エミリーは『嵐が丘』のブロンテ三姉妹、もう一人の作品は読んでいないから、映画で観るのが楽しみである、女性達なのだから。
この事を書きたかったのだが、就寝前に、いつもよりだいぶ遅い時間に発信されていた門田隆将のYouTube番組で、昨日の、もはや常軌を逸した、完全に報道機関であることをかなぐり捨てて、反体制活動家達、親中国、媚中者達、ハニー・トラップ、マネートラップにかかっているのは100%間違いがないのだろう、朝日と名前の付くジャーナリズム関係者達が作っている、朝日新聞の紙面を知った私は、今は、それを糺す事が先だろうと思うから、ここで筆を置く。
この稿続く。
