嵐山の快晴と新聞報道への違和—2015年末、紙面をめぐる思索—

2015年末の新聞報道を読み比べながら、メディアの論調と社会の受け止め方について考察した一章。嵐山の快晴の朝、友人との会話を通じて、報道姿勢や言論の責任について思索を深める記録。

2015-12-29
まともな神経と頭脳を持った日本国民は、この新聞の異常さを改めて知ったはずである。

今日、朝日新聞と産経新聞の両紙を見た日本国民の中で朝日や毎日を購読している人たちは、もはや何のためらいもなく、産経新聞の購読に切り替えるべきだろう。

理由は言うまでもない。

今日の朝日新聞は、戦時中もかくやと思わせる様な紙面だった。

自分たちの撒いた種がふざけた結果をもたらしていることなど、全く慮る風情もなく、それどころか自分たちの主張が正しかったのだとでも言わんばかりの鼻息で書いているのだから、まともな神経と頭脳を持った日本国民は、この新聞の異常さを改めて知ったはずである。

今朝、快晴に近い天気だった。

私は我が家の庭である嵐山に向かった。

友人とは京都駅で待ち合せた。

嵐山の駅に着いて外に出た途端に、友人は朝日に対する怒りを爆発させたのだった。

私も全く同感だったのだが、怒りは、健康に良くないし、今日の天気にも馬鹿らしいことは友人も承知していた。

私は言った。

全くまともな事を書いていた、産経新聞の女性記者の記事を引用して…
日本政府は在ソウル日本大使館前などに設置された慰安婦像の撤去など、問題解決に向けた韓国の具体的行動を確認してから財団への拠出を執行しても遅くない…(ソウル 田北真樹子)。

この女性記者は朝日や日経などの女性記者たちに比べて何倍も本物の新聞記者であるし、当然自然な大人である。

おかしな思想に染まっていない、確かで本物の…借り物ではない、自前の知性を持った大人であることを証明している記事だった。

友人も全く同感だった事は言うまでもない。

この稿続く。

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