ツイッターという時代の入口で、僕が歩きながら書く決意をした理由

170億円超の納税と年間1,000万円超の固定資産税を払い続けてきた現実と、それにもかかわらず白昼堂々と行われる理不尽への怒りから、筆者は「歩きながら書く」決意を固めた。テレビ報道に流される世論、日本案への「好感」という軽薄な言説に深い嫌悪を抱きつつ、弱き存在が安らぐねぐらの必要性、感受性の豊かな少年が受ける「平和喪失」の重さを描く。さらにエンゲルス、釈迦、キリスト、高橋和己の言葉を引きながら、時代を変革し歴史を作ってきたのは、学校教育の秀才ではなく「身に一物も持たぬ寒士」だったという確信を示す思想的エッセイ。

2010-07-23

僕が初めてブログの形で、こうなれば、歩きながら書くしかないと決心したのは、
これまで時には1年に2日しか休まず…形容すれば馬車馬のように働いて…様々な形で170億円超の納税を為し、今でも、大阪市に毎年1,000万円超の固定資産税を払っているのに、これほどの阿呆な事が白昼堂々と為されている事に対する心底の怒りからでした。

昨日、第1章は書き終えたと思い、歩きながら書いたにしては、我ながらよくやったと思いもしたのですが、昨日(結果は、僕の推測通りだとしても)TVのスポーツニュースで、
日本案、好感…等と流れて来た時には、本当に嫌に成りました。

中略

けれども親の庇護が必要な若鳥や子供ライオンでも静かなねぐらが必要。
能力に見合った感受性を備えた少年には平和の喪失は見合った分だけ耐え難い物に成る。

後年、エンゲルスの「僕はマルクス主義を学校で学んだのではない、自分の家を通して学んだのだ」を目にして、時代を変革する人間とは、そう言う物なのだと。

釈迦(ゴータマ・シッタルダ)だって同様でしょう。キリストもそうだと僕は思う。

学校で学んだ知識でお金儲けは出来ても時代を穿つ事、変える事、歴史を作る事は出来ない…前述した高橋和己の「いつの時代にも、時代を造り、変革して来たのは、身に一物も持たない寒士たちだった」と言うのは、そういう意味です。

(274) John Lennon – Help Me to Help Myself – YouTube

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