密約。スターリンは狂喜した。

1945年のヤルタ会談で結ばれた「密約」により、南樺太と千島列島のソ連領有が米国により承認された経緯を検証する。ヨシフ・スターリンの歓喜、フランクリン・ルーズベルトの判断、日本が信じた日ソ中立条約、そして無視された米国務省の極秘文書を通じ、北方領土問題の起点を明らかにする。

昨日の産経新聞三ページに、密約・スターリンは狂喜した、と題して掲載された記事からである。
2016-11-27。
以下は前章の続きである。
昨日の産経新聞三ページに、密約・スターリンは狂喜した、と題して掲載された記事からである。
北方領土。
密約・スターリンは狂喜した。
1945年昭和二十年二月、クリミア半島の保養地ヤルタに米英ソ首脳が集まり、第二次世界大戦後の世界の割譲を決めた。
戦後の世界になお暗い影を落とすヤルタの密約である。
ソ連の独裁者であるヨシフ・スターリンはユスボフ宮殿に宿舎を構えた。
二月八日朝、スターリンは書斎で何度も快哉を叫んだ。
「ハラショー、オーチン」。
握りしめていたのは米大統領フランクリン・ルーズベルトからの手紙だった。
「米政府は日本の占領下にある南樺太と千島列島についてソ連の領有権を承認する」と記されていた。
米ソ両首脳による非公式会談でも千島列島の扱いはあっさり了承された。
これには伏線があった。
1943年昭和十八年十月五日、ルーズベルトは国務長官コーデル・ハルら政府高官をホワイトハウスに招集した。
「ソ連の対日参戦と引き換えに千島列島はソ連に引き渡されるべきである」。
ルーズベルトはこう提起した。
日本軍の徹底抗戦により、米軍の犠牲者が増えることを恐れていたのだ。
対日参戦想定せず。
だが、日本側はソ連の対日参戦など想定していなかった。
1941年昭和十六年四月十三日に締結した日ソ中立条約を信じていたからだ。
両政府の条約締結交渉入りは1940年昭和十五年。
日本側代表は外相松岡洋右、ソ連側は外相のビャチェスラフ・モロトフだったが、スターリンも顔を見せた。
スターリンは「南樺太と千島列島を返してもらいたい」と松岡に迫った。
松岡は拒否したが、ソ連は迫るドイツ軍に焦りを強め、要求を引っ込めた。
米国は日ソの条約交渉を暗号解読で把握していた。
ソ連が千島列島を狙っていることを当時から知っていたのだ。
米政府内でも一部の高官は千島列島の戦略的重要性に気付いていた。
ヤルタ会談を約二カ月後に控えた1944年昭和十九年十二月六日、米国務省領土調査課はルーズベルトに極秘文書、ブレークスリー文書を提出した。
「南部千島列島は日本によって保持されるべきである」。
「ソ連の南部諸島に対する要求を正当化する要因はほとんどない」。
しかし、ルーズベルトは見向きもしなかった。
この稿続く。

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