日英同盟への感謝と戦後日本の真実 ― 高山正之論考に涙する

日英同盟の歴史的意義と英国の対日支援、戦後日本の再建過程を高山正之の論考を通じて考察する。日本の国際関係と報道、知識人の責任を問い直す論考。

2019-01-01
2018-12-29 にアメーバで発信した章が、今、公式ハッシュタグランキング:日産52位に入っている。
A Happy New Year!
編纂には本木の他、通詞の馬場貞歴、末永祥守、楢林高美、吉雄永保らが当たった。と題して2018-12-29 にアメーバで発信した章が、今、公式ハッシュタグランキング:日産52位に入っている。
週刊新潮新年特大号に掲載された高山正之のコラムも、彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。
購読者は心地よい大笑いや感嘆の念を感じながら読んだはずである。
だが慧眼の士は皆、この論文の重さを忘れる事はできない。
日本に彼が存在していた事に感謝するはずだ。
日英同盟に謝す
日英の最初の出会いは19世紀初め、フェートン号が長崎港に殴り込みをかけた事件だった。
日本人は何と乱暴な国があるものかと大いに驚いた。
で、対処の方法を考えるためまず英和辞典「諳厄利亜語林大成」を作った。注1.
後に同じ言葉を話し、もっと凶暴な米国人がきたときにそれは大いに役立った。
これはやや反面教師的だけれど英国は実際、いいこともしてくれた。
幕末、ロシア艦ポサドニックが対馬に来て村々を荒らしたうえ港の租借と遊女の差し出しを要求してきた。
幕府が下手に対応すれば対馬占領もあり得た。
実際、明治8年、同じようにロシア艦が樺太にやってきて同じような脅しをかけてきた。
日本は独力では抗しきれずロシアは樺太を手に入れている。
対馬もあわや、というときに英公使オールコックが軍艦2隻を派遣して露艦を追っ払ってくれた。
感謝してもし切れないいい結末だった。
そのロシアと朝鮮を挟んで再び対決したとき英国が軍事同盟を結んでくれた。
日本はロシアと戦うだけでよかった。
日本嫌いの独仏がもしロシアを助けたりすれば英国は直ちに参戦し独仏を倒す約束だった。
だれも世界最強の英国と戦いたくはなかった。
バルチック艦隊は日本海に入る前、仏印カムラン湾で休養を取れるはずだったが、仏政府は日英同盟を恐れて艦隊の入港を認めなかった。
将兵は地球を半周する長い航海の疲れも取れないまま聯合艦隊と対馬沖でぶつかった。
ロシア艦隊全滅という大勝利の2割くらいは英国のおかげだった。
その日英同盟は米国の狡猾と幣原喜重郎の間抜けのせいで消滅する。
それもあって先の戦争が起きて日本は負けた。
戦後の日本は米国の壟断に振り回されたが、そんなときも英国はごく普通の対応をしてくれた。
米国は日本が白人国家に二度と立ち向かえないよう航空機産業を徹底的に潰した。
航空機の運航も製造も航空力学の講座も禁じた。
自動車工業も同じ。
製造も研究も禁じ、戦前までやっていたフォードやGMの現地生産もやめさせた。
重工業も同じく完全解体のはずだったが、南北朝鮮が実にいいタイミングで戦争を始めてくれた。
日本は米軍の後方基地としてその工業力を生き残らせることができた。
こんなとき英国が日本自動車産業の救世主になった。
オースチンが日産と、ヒルマンがいすゞとノックダウン契約を結んで戦後の空白を埋められた。
先の戦争は米国が石油を絶ったことで始まった。
戦後の日本のエネルギー事情も何ら改善はなかった。
政府は原発の導入を考えたが、米国は断固拒絶した。
そんなときまた英国が手を差し伸べた。
日本は英国製黒鉛減速型の原子炉を手に入れて稼働させた。
それで日本はエネルギー自給体制をある程度まで実現することができた。
歴史に刻まれた恩義の何分の1かは返せる。
朝鮮と違ってきっと意味あるものになるはずだ。
*私は高山正之の、この見事な論文を再読していて、何度か落涙を禁じえなかった。彼の様な人間を真の国士というのである。

(以下注記・後半部分同様に続く)

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