大江健三郎と加藤周一。戦後知識人の歴史観と西洋崇拝の問題。

本稿は、西尾幹二の論考を手掛かりに、加藤周一による本居宣長批判や大江健三郎のノーベル賞受賞講演を検証し、戦後日本の知識人に見られる西洋中心主義と自己否定的歴史観を批判する評論である。
宣長の国学をナチズムと結びつけた加藤の論の問題点を指摘し、日本文化への理解の欠如と西洋文化への過度な賛美が、戦後思想の歪みを生んだと論じている。

2019-03-27。
大江のノーベル賞受賞講演は日本の過去の文化を政治的に「暗部」として否定し、西洋文化を普遍性の名においてひたすら持ち上げた卑屈な内容だが。
以下は前章の続きである。
次はいちばんすさまじい深刻な例である。
加藤は本居宣長の国学と二十世紀ドイツのハイデッガーのナチズム支持とを結びつけて、「皇国」の優越性を説く宣長の排外的な言説は正真正銘のナチス党員であったハイデッガーの政治姿勢と同一であると言った(夕陽妄語1988年3月22日)。
時代が違い過ぎるという区別意識が加藤にはない、という反論がまず誰の頭にも浮かぶだろう。
ナチスと聞いただけでハイデッガーを無価値と見なす思考放棄が加藤の論にある。
これが第二の疑問である。
ハイデッガーはナチス党員ではあったが、同時に偉大な哲学者でもあった。
この両立が成り立つし、ドイツ文化はこれから両立を成り立たせなくてはならない。
サルトルが偉大な哲学者であったかどうかは分らないが、彼は正真正銘の毛沢東主義者であった。
二十世紀の哲学者の運命を本居宣長に重ね合わせるのは、感情的な政治主義でなければ、歴史を知らない余りの無知である。
ドイツ文化史の中で宣長に並ぶ同時代人はせいぜいグリム兄弟である。
宣長は外来のものを排撃していたのではなく、儒教や仏教など外来のものを無防備に崇拝する日本人の側の無定見を問題にしていたにすぎない。
としたら、西洋文化からの自立を自分の課題としていない加藤がこんなことを言うのは天に唾し、自らの不明を告白しているようなものである。
忘れてならないのは学生時代の大江健三郎を発掘して文壇への橋渡しをしたのは加藤だったことだ。
大江のノーベル賞受賞講演は日本の過去の文化を政治的に「暗部」として否定し、西洋文化を普遍性の名においてひたすら持ち上げた卑屈な内容だが、思えば加藤の自己把握の薄弱さと共通している。
戦後のあの途轍もない逸脱の代表大江の起点は加藤周一だったのだ。
この稿続く。
*私は、最近大江健三郎達は人間の屑である、とまで言わざるを得なかったわけだが、西尾幹二氏は伊達に大学者の道を歩んだわけではなく、とうに、彼の実態を完璧に喝破していたわけである。

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