翻訳語を生み出した日本人の思考力。「個人」という違和感に刻まれた明治の知的格闘。

本稿は、明治の先人たちが西洋思想を単に受け身で学んだのではなく、自ら問いを発し、考え抜く中で翻訳語を生み出したことを論じる章である。
「individual」を「個人」と訳した違和感を手がかりに、人間を世間や家族から切り離して捉える近代西洋の人間観の異質さを浮かび上がらせ、日本人の思考力の深さを再評価している。

2019-03-26
今、新聞や雑誌で使われている日本語の半分以上が翻訳語と言われていますが、これを生み出したのは日本人の思考力だと思っています。
人間を世間や家族から切り離して「個人」としてとらえる思想は、近代西洋の生み出した異常な人間観であって、違和感を持って当然なのです。
と題して2017-10-18に発信した章が、今、検索数ベスト10に入っている。
以下は前章の続きである。
先人たちの葛藤。
長谷川。
ただ、明治の先人たちは、学ぶだけじゃなく考えることもしていたと思います。
実は、「日本人は学ぶより考えよう」という題名を見て最初に思い浮かべたのは、明治の先人たちのことだったんです。
幕末から明治にかけて大量の洋書が日本に入ってきて、英語もドイツもフランス語も習得する必要がありました。
語学を必死に学んでいた人たちは、それを通じて思想の格闘をしていたと言っていいのではないかと思います。
単に受動的に「学ぶ」だけじゃなくて、「これは一体何なんだ」と自分から問いかけながら「考え」たと思うんです。
その成果が今も残っているのが、翻訳語です。
今、新聞や雑誌で使われている日本語の半分以上が翻訳語と言われていますが、これを生み出したのは日本人の思考力だと思っています。
例えば、英語の「individual」は「個人」と訳しますが、よく考えてみると「個人」というのも何だかへんてこな漢語です。
ラブレターに「私個人としてはあなたが好きです」と書いたら、すごく違和感がありますよね(笑)。
今も違和感があるくらいですから、当時はさらに違和感があったでしょうね。
そして現に、人間を世間や家族から切り離して「個人」としてとらえる思想は、近代西洋の生み出した異常な人間観であって、違和感を持って当然なのです。
この奇妙な翻訳語は明治の先人が「学ぶ」と同時に「考えること」をしていた証拠です。
今の我々は明治の先人たちの主体的な取り入れに学ぶべきでしょう。
この稿続く。

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