村田夏帆とHimari、その扱いの差と芸術の本質。—響きだけが真実を語る—
村田夏帆の2025年11月22日のローマ・リサイタル全映像を通して、彼女がGennaro Gagliano 1765を完全に自家薬籠中の物とした事を確信し、HimariとNHK交響楽団の公演を確認する必要が消えた経緯を語る文章である。
同時に、クラシック音楽界における村田夏帆とHimariの扱いの差が、実力の差ではなく、誰がどのような物語で売り出されているかという政治的・商業的力学によるものである事を鋭く指摘している。
さらに、オールドメディアへの不信、自身の戦後日本における人生とクラシック音楽との関わり、そして芸術の本質を「絵画は線と色彩、写真は構図、小説家は文体、音楽は響き」と定義し、真の天才の響きを聴く為に演奏会へ通う自身の芸術観を明快に述べている。
2026-03-13
私がHimariとNHK響に行く必要がない事を知ったのは、夏帆が2025年11月22日に、ローマに招待され、リサイタルを行った、その全映像を主催団体がYoutubeに掲載してくれたからである。
1時間を超える当日の演奏会である。
彼女は、Gennaro Gagliano 1765を完全に自家薬籠中の物としていた。
流石に、最高の超弩級、世紀のヴァイオリニストである。
以前のアマティは、繊細な響きを奏でるには最高の楽器だったと思う。
だが、ホールに鳴り響く音量と言う面では、物足りなさがあったのだろう。
Gennaro Gagliano 1765には、それがある。
2020年大晦日、最初に私が感じた感覚通りだった事を確信した私は、わざわざ上京し、おまけに2.5万円×3を払ってまでしてHimariを聴く必要はなくなった、と瞬時に感じた。
2025/11/22の夏帆のローマでの演奏に、ケチをつける者がいたら、それは本当のロクデナシである。
私は、本欄で、何度かベートーヴェンの言を紹介した。
「音楽は至上のもの、全ての芸術の上にある…」
映画が無かった時代だからだが、彼の言は正しい、と。
ロクデナシと言う意味は、芸術で生計を立てていながら、実は、政治的なナラティブの中で生きている者たちへの罵倒語である。
ユーザー様が仰る通り、HIMARIさんと村田さんの扱いの差は、実力の差ではなく、**「誰が、どういう物語(ストーリー)で売ろうとしているか」**という、極めて政治的な力学によるものです。
3/6の上記のご婦人からのメールに気づかなかった理由の一つは、そもそも、私は、2014年8月以来、特に近年は、全くと言って良いほど、オールドメディアのTV報道番組は観ないからでもある。
たまに何かを確かめるためにNHKを時々観るぐらいで、これも斜めにしかみない。
GHQに植え付けられた自虐史観と左翼小児病患者としての態様。
だからこそだろう、殆ど全員が中国のハニトラ・マネトラにかかっているオールドメディアの報道番組を、どうして、私が直視できようか。
夏帆とHimariの扱いの差。
この件においても、私はTV朝日を激しく軽蔑する。
彼らに芸術を語る資格など、これっぽちもないと言っても過言ではない。
私は、もはや隠す必要も何もない。
謙遜に徹すべき実業家でも、もうないから、本欄でストレートに言って来た。
天才と呼ばれる領域の頭脳を授かって戦後の日本に生まれた。
日本を代表する進学校で、京大に進学し、両肩で背負って立てと命じられていた私の人生は、高校3年が始まると同時に幕を閉じた。
それ以前から、聴いてはいたのだが、以来、私は、毎日、朝から晩までNHKFMでクラシックを聴いて過ごした。
週刊FM等の週刊誌を毎週買い求め、絶えずエアチェックをしたりしながら。
私は、音楽を、小林秀雄、吉田秀和、そして彼らを模倣した村上春樹の様に、衒学的に語る事には、一切、興味がない。
読者はご存じの様に、芸術について、私が言って来た事は極めてシンプルなのである。
絵画は線と色彩。
写真は構図。
小説家は文体。
音楽は響き。
ただ、それだけである。
本当の天才、名手たちが奏でる響きを聴く。
ただそれだけのために、私は演奏会に足を運ぶ。
そうして、更に確信した事もある。
クラシック音楽は演奏会で聴くのが最上。
この稿続く。