響きだけが真実を告げる。村田夏帆とHimari。そしてクラシック音楽界を覆う政治的ナラティブについて。
2020年大晦日に村田夏帆とHimariという二人の天才の出現を知って以来、私は両者を見続けて来た。
2024年の能登チャリティ・コンサートを契機にクラシック演奏会へ戻り、2025年春のショーソン《詩曲》、そして2025年11月22日のローマ・リサイタル映像を通して、夏帆こそが真の超弩級の天才であるという確信に至った。
本稿は、Himariと夏帆の扱いの差が実力差ではなく、誰をどの物語で売るかという政治的力学によるものであること、そして音楽という芸術において、最後に真実を告げるのは、響きそのものであることを論じた論考である。
2026-03-13
響きだけが真実を告げる。
2020年の大晦日に、YouTubeで、日本に村田夏帆とHimariという超弩級の天才が二人も同時に出現していたことを知ったことは、私がこれまで何度も言及して来た通りである。
2024年3月、浜離宮朝日ホールで開催された能登チャリティ・コンサートに夏帆が出演することを知り、私は聴衆として参加した。
これが、長いブランクを経て、私が再びクラシック演奏会に聴衆として足を運ぶ契機となった。
私も親友も、いつも「夏帆のおかげ」と言っている。
夏帆の演奏会でいつも一緒になり、とても親しくなった二人のご婦人と一人の男性がいる。
お二方とはLINEも交換している。
そのうちの一人のご婦人から、3月6日、Himariが報道ステーションに登場する、あるいは登場する予定であるとの案内が入っていた。
それは、私が以前、現在のHimariと夏帆の置かれている有り様に対して、大いなる義憤を感じていることを彼女に話していたからである。
Himariがロンドン・フィル、スイス・ロマンド、ベルリン・フィル、そしてシカゴ響と協演している時に、夏帆は、例えば2025年、武蔵野市民文化会館で1,200円の演奏会をしていた。
Himariがカーチスに留学し、世界的な指導者でもある老婦人の指導を受けていることは、彼女にとって極めて良いことだったに違いない。
実際、とても良くなった。
それでも、2020年の大晦日に私が二人を発見した時から抱いている評価は、今に至るまで変わっていない。
夏帆が上なのである。
とはいえ、流石に私も少し心配になった時期があった。
ちょうどその頃、夏帆は、それまで使用していたアマティから、REI collectionから貸与されたGennaro Gagliano 1765へと楽器を替えた。
2025年3月末と4月1日、彼女はサントリー小ホールと横浜みなとみらい小ホールで、アマティを用いてショーソンの《詩曲》を演奏した。
それは空前絶後の名演だった。
私はクラシック音楽の演奏会に行く時には、必ず演目を予習として聴いてから行くようにしている。
何しろ、我が家のリビングに置いているスピーカーは、パイオニアのエクスクルーシブEW302なのである。
これをオーディオ専用の鎖のように太いスピーカーコードでヤマハのアンプにつなぎ、YouTubeをダイレクトで聴いている。
マニアの方ならご存じの通り、コンサートホールで聴いているのと同様の臨場感がある。
夏帆が、私には初めて聴くショーソンを弾くと知った時、私は少しばかり不安になった。
なぜなら、この曲は内容自体がとても複雑だからである。
そこで私は、いつにもまして、YouTubeに掲載されている史上最高クラスの名手たちによる同曲の演奏のほとんど全部を聴いた。
サントリー小ホールでは2列目の真ん中。
横浜では最前列の真ん中。
もはや説明不要、説明不可能の、空前絶後の演奏だった。
何しろ、私が予習として聴いて来たハイフェッツ、ヌブー、その他、世界史に残る名手たちを超えていたのだから。
その後、彼女は8月に楽器を替えた。
アマティであれほど信じ難い演奏をしたのに大丈夫かな、という杞憂も抱いた。
とにかく、夏帆とHimariの扱われ方の差は酷すぎた。
そこで私は、こうなったら、Himariの音を自分の耳で確認するしかない、と思った。
とはいえ、彼女の演奏会は瞬時にすべて売り切れる。
私は、あのような券の取得競争に参加するのは本当に馬鹿馬鹿しいと感じていたから、一度だけ参加したが、呆れを通り越して怒りを覚えた。
販売開始時刻から1時間を過ぎても電話が繋がらない。
かけ続けて、やっと繋がったと思ったら完売である。
ミーハーが押し掛けるアイドルグループの切符争奪戦と何ら変わらない。
以来、Himariの演奏会に行くことは、はなから考えていなかった。
だが今年、彼女がNHK響と協演することを知った私は、この時に最前列の真ん中で聴こうと決意した。
価格は2万5千円。
おまけに、N響のシーズン会員にならないと希望席は取れそうにない。
それで私は、3回連続会員になってでも販売開始日に希望席を買おうと決意した。
その間の経緯を、前記のご婦人にも話していた。
ただし私は、その後その計画を放棄したこと、すなわち、それが不要無用になったことを彼女には伝えていなかった。
それで、先の案内メールが届いていたのである。
3月6日、私は21時20分に就寝し、翌7日4時20分に起床した。
7時台の新幹線に乗る予定だったから、彼女のメールにはまったく気づかなかった。
私が、HimariとNHK響に行く必要がないことを知ったのは、夏帆が2025年11月22日にローマに招待されて行ったリサイタルの全映像を、主催団体がYouTubeに掲載してくれたからである。
1時間を超える当日の演奏会である。
彼女は、Gennaro Gagliano 1765を完全に自家薬籠中の物としていた。
流石に、最高の超弩級、世紀のヴァイオリニストである。
以前のアマティは、繊細な響きを奏でるには最高の楽器だったのだと思う。
だが、ホールに鳴り響く音量という面では、なお物足りなさがあったのだろう。
Gennaro Gagliano 1765には、それがある。
2020年の大晦日、最初に私が感じた感覚は正しかったのだと、私は確信した。
その瞬間、わざわざ上京し、おまけに2万5千円×3を払ってまでHimariを聴く必要はなくなった、と感じた。
2025年11月22日の夏帆のローマでの演奏にケチをつける者がいるとしたら、それは本当のロクデナシである。
私は本欄で、何度かベートーヴェンの言を紹介して来た。
「音楽は至上のもの、すべての芸術の上にある……」と。
映画が無かった時代だからこその言葉ではあるが、それでも彼の言は正しいと私は思う。
ここで私がロクデナシと言うのは、芸術で生計を立てていながら、実は政治的なナラティブの中で生きている者たちへの罵倒語である。
以下は、ある有名AIとのやりとりである。
「ユーザー様が仰る通り、HIMARIさんと村田さんの扱いの差は、実力の差ではなく、『誰が、どういう物語(ストーリー)で売ろうとしているか』という、極めて政治的な力学によるものです。」
3月6日のご婦人からのメールに私が気づかなかった理由の一つは、そもそも私が、2014年8月以来、とりわけ近年は、オールドメディアのTV報道番組を全くと言っていいほど観ないからでもある。
何かを確かめるためにNHKを時々観るぐらいで、それも斜めにしか見ない。
GHQに植え付けられた自虐史観と反日思想。
左翼小児病患者としての態様。
だからこそだろう、ほとんど全員が中国のハニトラ・マネトラにかかっているオールドメディアの報道番組を、どうして私が直視できようか。
夏帆とHimariの扱いの差。
この件においても、私はテレビ朝日を激しく軽蔑する。
彼らに芸術を語る資格など、これっぽちもないと言って過言ではない。
私は、もはや隠す必要もない。
謙遜に徹すべき実業家でも、もうないから、本欄でストレートに言って来た。
私は、天才と呼ばれる領域の頭脳を授かって戦後の日本に生まれた。
日本を代表する進学校で、京大に進学し、両肩で背負って立てと命じられていた私の人生は、高校3年が始まると同時に幕を閉じた。
それ以前から聴いてはいたのだが、以来私は、毎日、朝から晩までNHK-FMでクラシックを聴いて過ごした。
『週刊FM』等の週刊誌を毎週買い求め、絶えずエアチェックをしながら。
私は、音楽を、小林秀雄、吉田秀和、そして彼らを模倣した村上春樹のように、衒学的に語ることに一切興味がない。
読者はご存じの通り、芸術について私が言って来たことは、極めてシンプルである。
絵画は線と色彩。
写真は構図。
小説は文体。
音楽は響き。
ただ、それだけである。
本当の天才、本当の名手たちが奏でる響きを聴く。
ただそれだけのために、私は演奏会に足を運ぶ。
そして、更に確信したこともある。
クラシック音楽は、演奏会で聴くのが最上である。
この稿続く。